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自然が合衆国の金準備を救った ゴールド98

南北戦争終結(1865年)後、金への兌換を早期に再開するのが望ましいとの表明がなされ、1866年にはグリーンバックを回収するための法案が可決された。

しかし、グリーンバックを回収するための法案の見直しがすぐに始まった。

そして、ようやく1873年に貨幣鋳造法案が可決された。

貨幣鋳造法案

貨幣鋳造法案は議会において圧倒的多数で可決された。

この法案によって合衆国における金銀複本位制の法律上の地位が崩れることとなった。

そして1875年には、議会は1879年1月1日までに貨幣の金への兌換を完全に回復させることを保証する法律(正貨兌換復帰法)を可決した。財務省に対しては金準備を獲得するために貨幣を借りる権限も与えた。


金準備の不安

1879年1月1日、予定通りに貨幣の金への兌換が再開された。

しかし、実際に兌換を再開できるかどうかは不確かであった。

当時、合衆国の貿易収支は悪化しており、相当量の金がヨーロッパへ流出してしまうという見通し、つまり金準備に対する不安があった。

そのため、合衆国が金本位制を信仰している、合衆国財務省が兌換の義務を果たすつもりがあるということはヨーロッパ諸国は疑わしく思っていた。


合衆国への金の流入

合衆国の金準備の不安を救ったのは自然の驚くべき仕業のおかげだった。

1879年5月、フランスに雪が降り、イギリスは霜によって作物への壊滅的な打撃を負った。

一方、合衆国の天候は申し分なく作物の収穫量は未曽有の水準となった。

ヨーロッパにおける作物の価格は高騰し、そこに作物を輸出した合衆国は大量の金を獲得することとなった。

その後、少なくとも3年間、合衆国は農業によりとてつもない貿易収支を稼ぎ、海外から金を獲得することができた。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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