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ゴールド 金と人間の文明史-56 見本市とフッガー家、メディチ家、ロスチャイルド家、ベアリング兄弟

見本市では多くの両替商が活躍をした。

スペインのメディナ・デル・カンポの市などは各国通貨建ての約束手形、いわゆる為替手形での取引しか行われなかった。


両替商は硬貨の発達 -16世紀のヨーロッパでは48種類の金貨が流通していたと言われている- にはさほど煩わされていなかった。それよりも厄介だったのは、支払うのに煩雑で不便だった硬貨の代用として紙の紙幣が次々に出回るようになったことである。

紙による支払いの代表格は為替手形だった。

為替手形は13世紀、おそらくはもっと早くにイタリア人によって考案された方法である。為替手形はさまざまな使い方や形態に応用できるため、金融上の画期的な発明だった。


為替手形の市場では、本人ではなく仲買人が手形を買い、それぞれの取引の差額を調整する。

総額ではなく差額の支払いをし、各種の取引を一つにまとめて、そこに多数の仲買人を参加させる手形市場が登場したことで、相互の差異をならすという目的での硬貨の必要性はにわかに薄れていった。

そして、このやり方は見本市という慣行がなかったら、うまく機能しなかっただろう。

見本市が仲買人や両替商に出会いの場を提供し、国際間の手形の売買と外国為替での支払い -イタリア人がフランドル人と、そのフランドル人が今度はイングランド人と- を可能にさせたのである。


こうして時代は大きく変わっていった。

商人はもはや支払いのために旅をする必要がなくなった。機能の集約した見本市にはますます多くの金融取引が集中した。

商売はどんどん多角化し、この時代に成長した同族経営の大財閥が出現した。

神聖ローマ帝国のフッガー家、フィレンツェのメディチ家、そしてのちのロスチャイルド家やベアリング兄弟もこの系譜に連なる。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

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