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ゴールド 65 ギニー金貨の誕生

1611年にイングランド王チャールズⅡ世により発せられた枢密院令は「全ての貨幣をできるだけ早く機械製造にし、その縁に溝か銘文を入れること」だった。


それまで、貨幣はハンマーを手で打ち下ろして一つづつ鋳造されていた。

約1000年前に世界で初めて貨幣を普及させたリュディア人、古代ギリシア人がハンマーを手で打ち下ろして貨幣を鋳造していた方法のままだった。

しかし、この方法で貨幣を鋳造することでは不正行為を防ぐことが出来なかった。

その不正行為とは、鋳造された貨幣の縁を少しずつ削り取って金属を貯め込み、ある程度の量が貯まるとそれを溶かして塊にして鋳造所に売ることで新品の貨幣を手に入れるということだ。

※ハンマーを手で打ち下ろして作られた貨幣の縁は滑らかだったので、その縁を削り取るという不正を行うことが出来た。もちろん、不正が発覚すれば厳重に処罰されたが、それでも人々は不正を止めなかった。これほど簡単に金持ちになれる手段を前にしては、絞首刑のような処罰も抑止力とはならなかった。


そして、この不正を防ぐため、ようやくチャールズⅡ世による1611年の枢密院令、さらには1663年の法令により完全な機械化による金貨が作られた。

この金貨とはギニー金貨である。

※この金貨は新しく設立された王位アフリカ会社が西アフリカから輸入した金で製造されたため、ギニーと呼ばれるようになった。


この新しい金貨、ギニー金貨は1ポンド(シリング銀貨20枚分)に等しいと定められた。

ギニー金貨が登場してから間もなく、銀貨も新たに同じ手法で製造、発行されるようになった。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン



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