見出し画像

ゴールド 金と人間の文明史-23 ペニー銀貨

ローマ帝国の滅亡から1000年の間、ヨーロッパにおける金の役割はビザンティン帝国やイスラーム圏ほど重要ではなかった。

その差をヨーロッパ人自身が選んだのではない。単にヨーロッパ人が金を持っていなかったということが理由だ。

ヨーロッパにはビザンティン帝国やイスラーム国家が利用したような豊かな金鉱が無かった。したがって、ヨーロッパ人は、目に見えるあらゆるものを金ずくめにするビザンティン式を拒絶するしかなかった。ロマネスク様式やゴシック様式の教会には、ビザンティン様式のような金のモザイクは見られない。


ローマ帝国後のヨーロッパの貨幣の物語で、最も重要な発展はイギリスで起こった。その重要な発展の最初はマーシアの王オファによる。

イギリスには金の資源はごくわずかしかなかったが、豊かな銀鉱があり、そこから産出される銀を使って硬貨がどんどん作られた。

王オファは三人の銀鋳造者(エオバ、バッバ、ウッド)に銀貨を作らせた。その銀貨とはペニー銀貨である。ペニー銀貨は高い純度が保たれたため、まもなくヨーロッパ中に広まった。

さらに、ペニー銀貨には大きな需要が迫っていた。イギリスはヴァイキングの襲来に備えて軍備を整えなくてはならず、スカンディナヴィアの侵略者たちを買収しようとすれば大金を用意する必要があったからだ。

西暦1000年までに、イギリスの硬貨鋳造はヨーロッパでもっとも発達した。


なお、ペニー銀貨は、それを半分や四半分に切って小額硬貨としても使われた。後に、シリングが登場するが、シリングという言葉は「切り分けたもの」という意味である。


ゴールド 金と人間の文明史 ピーター・バーンスタイン

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?