たくさんの友達は欲しくない

過去友人だった人から、「あなたは友達がいっぱいいて羨ましかったし、妬ましかった」と言われたことがあった。

その言葉を聞いたとき、そのあとに続く言葉が「だからもう一緒にいるのがつらい」ということが分かっていたから悲しく思った。そして、私は自分のことをそうは思っていなかったので、こんなにも自己認識と他人からの認識が解離するのだな、と驚きと空しい気持ちになった。

友達、と呼んでいい存在になるまで、私は結構慎重になる。
けして素っ気なくするというわけではなくて、簡単に人と仲良くなれるほど自分は心が広くないし、器用ではないと自分でわかっているから。

だから、当たり障りのない関係から、一歩踏み出して親密になれたときはとても嬉しく思う。それは誰にだって同じことだと思う。

私はできればたくさんの友達はほしくない。
本当に心許せる友達と長く適度な距離で仲良くいられればいいと思ってるし、お互いの距離感や相性があわないと不幸になるだけだから、距離を詰める時ってやっぱり慎重になる。

あと、よく思うのが、集団でつきあうのはあまり好きじゃないので、自分の所属とは関係のない個人の人との繋がりが多いタイプだと思う。だから、どこで知り合ったの?というような友達が端から見たら多くみえるのかもしれない。私はどこかに所属するより、個々でつながっている、そういう人間関係が好きだから。
そしてそういう人とできるだけ多く繋がりたいともあまり思ってない。縁があるときにそういうふうになれたら、と最近は割りきっている。

ここまで自分の友達について長々と自分語りをしてしまいましたが、なぜこの話題をしているかというと、時々自分が思っているより人って閉鎖的な環境や一蓮托生な集団を好むのかな、と感じるからです。

時々、私が話したことやSNSでシェアしたこと、私の行動に対して、周りがどう思うか考えた?とか、最近この界隈でその話題はデリケートだからやめた方がいいとか、ひょっとして業界を批判しているの?と言われるのですが、そういう言葉を聞くたびに思うんです。

私にとって、あなたが口にする「周り」や「界隈」や「業界」は、私のすべてじゃなく、一部分でしかないんだけど。

そういう言葉を聞くたびにすごく悲しくなるのは、私にそう言ってくる人にとって、「周り」や「業界」は世界のすべてなんだなと思うから。そして世界がそれですべてだから、そうじゃない人のことが想像できない。いろんな個人と好きなように繋がってて、軸足を持たず、いろんなところに少しずつ顔を出す私みたいな人が理解できないんだろうなと。

集団に属していると、たしかに得なことが多い。
便宜を図ってもらえたり、馴染みだから融通してもらえたり、仲間のことは何があっても味方する、という人もいると思う。
ただ、私はそういう集団にいると自分がその集団に過剰適応してしまう感覚があって、自分らしく生きていけないと思うから、私は個人で自由に繋がりたい人と集団関係なく繋がりたい。
帰属していたい人たちがそういう価値観で集団の中で生きていることは何も否定しないけど、私の行動や価値観とは違うのだから、私を変えようとしないでほしい。

でも、話してて思うのが、
「違う」ということがわかってもらえないこと。
「生き方が違う」ということが理解されないことがすごくつらい。

「違う」ことが理解できないと、私はその人たちの中で「無礼者」になるし、「集団の雰囲気を壊す人」「恩義を感じない人」になる。私のモラルが疑われたり、みんな私個人の人格を悪い方にとらえてしまう。

私の生き方だと、そういう人に誤解されたりそういうふうにとらえられることって時々起こるんだな、と思う。
でも私は集団や界隈に好かれるために生きてる訳じゃないから、これからもこの生き方を変えることはないと思う。

そうして友達になった人や、今の関係性が私は好きだから。

冒頭の、過去友達だった人は、よく私のことを妬ましいとか、理解ができないと言っていた。
その人はよく私に、SNSに自分の感じたことや意見は書かない方がいい、どんなふうにだれにとられるかわからないからやめたほうがいいと言っていた。

私はその人に、SNSに書く言葉は考えた上で発信した言葉で、それでも自分の考えや気持ちを書いたことで離れていく人がいるなら、それは縁がなかったんだと思って私は諦めがつくと伝えた。だから私が表現したいと思ったこと、発信したいと思ったことを、言わない方がよかったと否定するのはやめてほしいとも伝えた。

その人は、自分はそう考えることができない。たぶんそこにたどり着くことはできない。と言っていた。

そして過去友人だったその人は、今はもう友人ではなく、連絡もつかなくなってしまった。
私は、その人と友達でいたかった。

仲良くなると、価値観の違いに気づいてしまうこともある。見えなくていいところが見えてしまうこともある。

友人だった人が今は友人ではない現実を、寂しく思う時もある。

でも、お互い生き方を変えられなくて道が別れたのなら、それはお互いにとって良い選択だったんだと今の私は思うことにしている。

別れを割りきれるようになってくると、自分でもむなしい気持ちになるときがあるけど、私はたぶん完全に割りきれるほどドライに生きられるたちでもないかな。

傷つきながらこれからも別れを繰り返すと思うけど、人格まで悪しざまに言いふらすような別れ方にはしたくないだけ。

だから自分を曲げろという人より、優しい別れを選べる方がまだマシだとおもうから。








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