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片耳が聞こえないという告白。

タイトルを聞くと、非常に重苦しい話に聞こえるが、ほとんどの時間を、この状態で経験してきたから、もはや私にはそれほど気にはなっていない。けれど、私が所属するスタジオカナリヤのnoteで、過去の企画書を公開したことで、多くの心配の声が寄せられた。結構前に書いた企画書だったから、内容を覚えていなくて失念していた。墓場まで、別に誰に言うつもりもなかったのだけれど、心配する声が寄せられたのならば、説明しておいた方がいいだろうと、筆を執る。

ここに件の企画書はあるので、ぜひ一度読んでみてほしい。

私の片耳難聴とは

まぁ、文字通り片耳が聞こえないという病気だが、どうやら今の技術では治療するのが困難なものらしい。とはいえ、私の場合は、右耳にその症状が出ているのだが、全く聞こえないというような症状ではなく、聞こえる。ただ、正常と比べるとかなり聴力は落ちる。

けれど、この「少しでも聞こえる」というのは、この病気を周りに言えなかった原因にもなっている。日常生活に大きな支障はないし、自分の声は左耳を通して確実に自分でも聞き取れる。だから、発話も問題ない。けれど、それが周囲からすると、全く分からないから困る。普通にしていると、わからない、というのは、それはそれで大変な思いをする。加えて、ある時期、耳が聞こえないピアニストが実は聞こえていた、なんてニュースがあったせいで、余計に困った。あのニュースはもはやポップなものとして受け入れられ、彼の作曲を担当していたあのジジイは、TVに引っ張りだこになっていたが、お前も共犯じゃねえか、と私は憤っている。見た目に分かりづらいこの病気を誰かに打ち明けようにも、笑い話にされる。私は同様の片耳難聴を患う友人が、友人に打ち明けて、実際にこういう対応をされた話を聞いた。当時は、相手もまだ幼く、大人になってからはきちんと受け止めてくれるのだろうが、子供心に「これは隠しておかなきゃ変人扱いされる」という結論になった。

今回のカミングアウトついて

カミングアウトなんて大それたものじゃなくて、きっとたとえば性的マイノリティであることの告白とかとは重みが違うと思う。少なくとも、私は他者に告白しなかったことで「ツンボ!」なんて言われるような迫害は免れていたし、そもそも片耳難聴は障害であるからして、周囲は「片耳難聴者とは付き合えない」なんて言われる類のものではない。そうなんだ、くらいの認識だろう。

まぁでも自分は「こういう障害を持っている」というのは、なんとなく気が引けるし、少なからず勇気もいる。あと、よく「カミングアウトなんてSNSでしなくても、それぞれ大切な人にすればいい」なんて言う人もいるが、それは当事者の気持ちを知らないから言えるものだ。何人もに何度も何度も話すのは、面倒だし、そもそもきつい。だから、みんなSNSで一気に告白するんだ。てことで、私も少しの勇気を出して、この記事を書く。読んだ人は、「へえ、堂ノ本くんそうなんだ、分かった」くらいの認識でいいし、間違っても「配慮しないと!」とか思って、人間関係が変わったり、「大変だね」みたいなコメントを打ってくるのもやめてほしい。

片耳難聴のリアル

私の場合、先天的なものではなく、後天的なもので、いつしか聞こえの悪さを認識しながらも、疲れているのか、耳垢が溜まっていると思って無視していた。初めておかしいと認識したのは、学校の聴力検査。左耳の検査を終え、右耳の検査を始めたとき、いつから始まってた?となった。けれど、先生もまさか難聴なんて思わないから、「ちゃんと集中してなかったでしょ」なんて言って、特に問題にならずに終わった。その当時は、聞こえないことは恥ずかしいみたいな認識があって、あとは、バレたくないみたいな感情があって、それ以降聴力検査が来るたびに隣の人の手元を見て、一緒のタイミングで押すようになった。

だから、実はこの障害のことを親も知らない。

まぁ心配をかけるし、言わなくても済むことは言わないでいい、と今も思っているから、家族には言うつもりはない。

片耳難聴の何が大変か、みなさん気になるだろう。

大変なこと

私の場合は、電車内や高速道路上での車内の会話は、ほとんど聞こえない。車は自分が運転席にいると、左耳で会話をするから、ギリギリ行けるが、後部座席でボソボソ話されると死ぬ。電車はほとんど無理。停車中は問題なく聞こえるけれど、走行中に、しかもマナーのせいでヒソヒソ話で会話するから、これはもう無理。あとは、高架下とかの居酒屋はまず入れない。騒音環境下では、会話どころか聞き取りが困難だ。だからカラオケでは音楽を止めてくれないと、例えマイクで話されても無理だ。そもそも都会が苦手なのもこれが要因で、色んな音が聞こえる環境では、私は人として生きれなくなる。

聞こえないと言うのは容易に理解できるだろうが、聞き分けが困難なのだ。だから、大人数での会話は苦手だ。顔を向けて話さないと、今誰が喋った?となる。聞き分けが困難というのは、映画では大きな問題で、だから現場では常に緊張状態にある。スタッフが口々に叫ぶわけで、例えば姿が見えないところから「監督」と言われても、わからないのだ。あと、監督だから、と、スタッフも演者も気を使って小さな声で「監督、今いいですか」と聞かれても、右側から話しかけられるとほとんど気づけない。こないだの現場で、「無視された」と悩むスタッフがいて、本当に申し訳なかった。私はそれを聞いて、泣きそうになった。

こういう体験は、日常茶飯事だ。みんな片耳が聞こえづらいことを知らないから、「無視された、あの人怖い」みたいな認識になりがちで、その話を聞いた人から、「堂ノ本は人嫌い」なんて吹聴されたりする。けれど、これはあながち間違いではなくて、そもそもこの障害を持っていると、ボソボソと喋る人とは仲良くするのを諦める。ハキハキ喋ってくれる人や甲高い声で聞き取りやすい人を好んでしまう。あと、目上の人でも「もう一度お願いします」と聞き直せるような人柄の人じゃないと、関わらない。

意外にも大変だったのは、インカム。映画の現場でもアルバイトとかでもつけたことはあるけれど、左耳につけると外の会話は聞こえないし、右耳につけるとインカムが聞こえない。あれ、本当にどうにかならないものかね。仕方なく、左耳につけてインカムの音を小さくして対処するのだが、もうほとんどポンコツになる。

心底困るのは整音現場。「監督、ここは少し左に音を振りましょうか?」とか聞かれても、「わかんねーよ!」って感じだし、そもそも、右のアンプから音が聞こえてるかもよくわからない。けれど、わかんねえというわけにはいかないから、VUメーターという針の動きで音の強弱を示してくれる装置を一生見る事になる。一度、「堂ノ本は整音テキトーすぎ。全然指示出してくれない」と苦情を言われたことがあった。本当にごめんなさい、でも君の実力を信じてるんだ、と返した。

これは日常の映画体験でも、音楽鑑賞でも付き纏う問題で、私はiPhoneの設定もPCの設定も、右耳に合わせて、音を極端に右に振っている。正常に聞こえるように。

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だから、誰かに聞かれた時、「やばい」という反応をされる。誰も私の端末では、音を聞けないと思う。女の子とイヤホンを共有したりするのは殆ど憧れだ。「その曲聞かせて?」とイヤホンを求められても、「ごめん、潔癖なんよ」と返すか、別の話にはぐらかす。

けれど悪いことばかりでもなくて、右耳が聞こえないということは、常に日常で人の右側に立つのだが、これが女性には好評だった。日本の道路は、車道は右側にあって、私は「ちょっとごめんね」とか言いながら、右側に立つから、「あの人怖いとか言われてるけど、めっちゃ紳士」みたいなことになる。けれど、その反面、女性とそういう雰囲気になった時、決まって女の子はヒソヒソと話すから、本当に困る。いや、そういう雰囲気で大きな声で話すなんてムードがないとはわかっているが、好きな人が話していることを聞き取れないというのは、一番心にくる。ピロートークで大事な話をされると、終わる。大体、あとで喧嘩になる。で、ヤリモク扱いを受ける。やるまでは紳士的、やったあとは無視する、そりゃ仕方ない。

あと片耳難聴の人によくあるのは、めちゃくちゃ愛想笑いがうまい。私はどうかわからないけれど、親戚中では「愛想笑いで世渡りしている」とかいう評価らしい。聞こえないから、「へえそうなんですね」とか相槌とかで相手との会話をやり過ごす癖がついて、そのせいで「あの時のあの話どうなった?」とか聞かれて、思いもよらぬ事態になったりもする(笑)

まとめ

まぁ、そんな感じなのだ。

けれど、最近、本当にごく最近、今の彼女にバレた。というか、家に遊びにきたときに先述の企画書を読まれて、バレた。その時は『海底悲歌』が劇場公開されていた時期で、学生映画からなんてすごい!みたいなのを少なからず言われていた時期だったから、「天才ぽいでしょ」と嘯いたが、かなり焦った。

でもそれ以降、彼女が私の隣を歩く時、ちょこちょこっと左側に行ってくれるのが心地よかった。ドライブ中も「左耳じゃなくてよかったね、ドライブできる」と言ってきた。どうしてもネガティブになりがちな問題をプラスに捉えようと思わせてくれた。本当にいい彼女だ。

最後は、惚気話で終わってしまったが、これが私の片耳難聴のリアルである。けれど、これは私がセリフの少ない映画を作る要因にもなっているだろうし、人知れず何かを抱えるキャラクターを、主人公に据えがちなのも、これの影響かもしれない。

こんな奴が、音についての映画を作りたいと考えたのは、無謀だとは思う。けれど、件の企画書に書いたように意味はあると思う。前の企画はボツになったけれど、いつかそんな映画を自分が作れたら、いいなと思う。その時は、これを読んで応援したくなった皆様、ぜひ協力してください。

少しでも私のことを応援したいなと思って下さった方、そのお気持ちだけで励みになります。その上で、少しだけ余裕のある方は、サポート頂けますと幸いです。活動の一部に利用させていただきます。