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明日を描こうともがき苦しむ

『今』が連続していることが時の流れだと思います

今と言うとても短い時間の中に、生あるもの形あるものが息づいていて進もうとしている、止まろうとしている、そのどちらも『今』という時の瞬間が連続して、そんな流れみたいなものを形づくっているのが時の流れだと思うのです。

この流れは決して元の場所には戻れない、なぜ?それは『今』だから。今をどう意識したとしてもすぐ過去になり、また新しい今がやって来る。意識した瞬間にそれは過ぎ去っていき、腕の中に抱えていてもスルりと抜け出して、捕まえ続けることなんてできない。

「行かないでほしい」

そう思う時の『今』は動き続ける機械のように永遠に回り続けながら、そう言った瞬間にもう私の腕の中にはいない二度と腕の中に抱くことはできない『今』なのです。

だから、今感じている『今』を大切に、大事に、心の底から深く思うこと、そこに留まっていないのならば思いを広く深く留めることが、今を『今』として感じることができる唯一の手段なのだと思います。

一瞬にしか見えない

さっき見た今は、今見ている今ではなく、後ろを振り返ると数えきれない今が連なって、一本の川のような流れとなって、遠くまで遠くまで永遠に続いています。

だから立ち止まってはいけないのではなく、立ち止まることができない事に意味があるのではなく、今が瞬間の『今』でないように、連続した流れの中に同じ速さで進んでいることに意味があるのだと思います。

ふと、立ち止まろうとすると『今』が背中を押してくれた感覚がある、それを感じようと振り返っても、今はもうそこには居ないのです。

未来を感じ創造すること

時と言う景色の中で『今』を追い続けることは、未来を感じ創造することだと思います。明日を描こうとしてもモノトーンの景色だけが流れて来る、色彩を加えようとしても筆が見つからない。だから、どんな色がその景色にあればいいのかを感じる感覚が大切だと思います。

自然と言う景色の色彩は人間社会では描けない色で飾られていて、『今』と今との連続したグラデーションを感じることができればいいと思います。自然の中に身を置いて、自然の色を感じ、音に耳を傾けて、感じることをありのままに受け入れること、そこから自分を知り、明日という『今』が自分自身に何の意味があるのか、それが知りたいのです。


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