見出し画像

さっきの雑記 2(オモイツキ備忘録)

さっきの雑記②(オモイツキ備忘録)

【今回のテーマ】
お笑いと時代

今年も漫才の頂点を決める戦い「M-1グランプリ」がついさっき終わった。

僕はある時期から、お笑い番組がどれを見ても同じになってしまった気がして、M-1グランプリからも遠ざかっていたのだけれど、今年の放送も含め、直近の三回はとても楽しく見ることができました。

そして、この三年間で僕が感じてきたお笑いと時代の流れの変化について、どうしても書いておきたくなったことを、勢いのままに書いてみたいと思います。

僕がまたM-1グランプリを見るようになったきっかけは、2017年のジャルジャルのネタ「ピンポンパンゲーム」。

その年の反省みたいな記事の中で、ジャルジャルの二人は自分たちのそのネタを「誰も傷つけない笑い」と表現していたのを読んだとき、僕はなんとなく「お笑いに何か大きな変化が起きている」気がしたんです。

それでも、その時はまだその変化にそこまで注目してたわけではなかったし、別の話題をからめて次のようにツイートした程度でした。

そうして一年が過ぎた2018年のM-1グランプリで、2017年に感じたことが僕の中で確信に変わります。

その時のツイートがこちら。

【M-1グランプリの感想】

そして、次のスレッド。

【その年のM-1で確信に変わったこと】

【「ゆにばーす」のはらちゃんについて(スレッド)】

ここで僕が感じたことは要するに、見る側もお笑いが単に「笑えればいい」という空気ではなくなったということです。
様々なリテラシーが増え、また一方では個性の解釈が進み多様化していく価値を認め合う世の中の変化に合わせて、ある意味ではよりシビアにそしてより積極的に「自分たちが面白いと感じる」を求めるようになったと感じたんです。

そして今年、2019年のM-1グランプリ。

10組の漫才師が計13本のネタを披露したファイナルラウンドと決勝を通して、自虐ネタはもとより、明確に誰かを傷つけたり馬鹿にするネタは一本もなかったと言っていいと、僕は感じています。

これ、すごいことだと思うんです。

ちなみにその10組の中で、見事グランプリを勝ち取ったのは「ミルクボーイ」でした。

去年の霜降り明星に続き、1回目のネタで会場と審査員の空気を一気に変え、M-1史上最高得点を弾き出した勢いそのままの結果は納得でしたし、かまいたちのネタも素晴らしかった。

その中でも僕は個人的に、決勝戦に駒を進めた最後の一組「ぺこぱ」のネタに衝撃を受けました。

審査員の松本人志が「つっこまないツッコミ」と表現したその芸風は、言わば笑いを取るために「それでも傷つけざるを得ない」ツッコミという行為を、大袈裟に言えば「解体」してしまっていたからです。

例えばネタの中でボケ役が車に乗っていて、ツッコミ役を轢く。
このベタベタな展開に対しての返しが

「ちゃんと止まれよ!!…と言えるということは、僕は無事だから問題ない」

と言った感じで、全てのツッコミ要素をツッコミ側が自分なりに即座に回収していく。
つまり「相方すら傷つけない」んです。

そして「時を戻そう…」と言って、ネタが進んでいく。

僕は「ぺこぱ」のネタは初見だったので、最初こそ戸惑いはしたけれど、ネタが終わる頃には大笑いしていたし、放送が終わった今では「すごいものを見た」とすら感じています。

そして何より、この「つっこまない(≒相手を傷つけない)ツッコミ」が、漫才の頂点を決める番組のファイナルに残り全国に放送されるどころか、決勝戦の三組に選ばれ、さらに二本目のネタも会場を爆笑させたことは、たぶんこれからのお笑いを変える出来事だと確信しています。

もちろん、全てのツッコミがこの「ぺこぱ」のようになるとは考えていません。

ただ、これからの笑いはますます「人を傷つけない、誰も馬鹿にしない」笑いになっていく、そんな未来を去年に続き、さらに強く感じさせてもらいました。

と、勢いに任せて書き殴ってみましたが、みなさんはどんな風に感じたのか、それは僕には分かりません。

ただ、近ごろよく「こんなに何でもかんでも批判されたら、何もできなくなる」という声を耳にします。

また最近では、爆笑問題の太田光さんが「いじめは面白い」というような発言をしてたくさんの賛否の声があがったりもしました。

しかし、ここ数年のM-1グランプリを見ていると、最も人間らしい「笑い」という行為の中に感じたこういった変化があり、個人的にはそれでも未来はきっと変わっていくし、人はその未来でやはり今と変わらず笑っていられるという、小さな希望も感じたのでした。