おはよう
僕にとって、外の世界とは鬱陶しくてたまらないものだったんだ。
生まれた時からそうだったのではない。
それなりの経験というものはあったわけで …… いや、今回その話は置いておこう。
なんにせよ、子供の頃から外の世界というそのものが嫌だったんだな、ということ。
自分を主張できないということ ―― どうしてこんなにも駄目だろうと、ずっと不思議に思っていた。
世の一般論に訊けば、嫌われたくないとか自信がないとか自己否定とか云々。
もちろん、それらが間違いだというつもりはなくて、むしろ、それはそうだと思える話ではある。
しかし、そのようなものはあくまでも一般論であり、僕はそういった言葉達に救われたことがない。
事実として救われたことがない、と言い切れる。
だから、自分の心は自ら探るしかなくて、それで段々とわかってきたのは、僕はどうも”外”というそれ自体を厭うていたぞ、ということ。
外の他人など本当にどうでもよくて、ただ自分一人の内なる世界に遊び続けていたかったのだと、今になってようやく実感が出てきた。
話せなかったのではなく、そもそも話すつもりがなかった。
体を動かすだけならば、頭の中は自分の勝手に思っていられる。しかし、外の他人とコミュニケートするということは、頭の中まで外を意識しなければいけなくなる。
それが嫌で、なるべくずっと内で遊んでいられるように、話し合わず周囲に合わせるという方式を取っていたのである。
身体的な面倒を引き受けることよりも、言葉を交わす精神的な面倒を鬱陶しいと感じていたのだ!
それに心底気付いた。ということは、もうすぐそれが終わるということ。
外と向き合っても、内を失うことにはならない ―― その実感が、ようやく表され始めたのだ。
そのことは、いずれ気が向いたら語ろう。
僕はようやく夢から醒める。
どうにも長い夢だったな。
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