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令和の時代に近所付き合いしたら、涙こぼれそうになった。


わたしはその日

人の家の家庭菜園で、汗だくになりながらインゲンを収穫するというあまり普通とはいえない体験をすることになる。

だけれど、滴る汗を拭いながら
涙がこぼれ落ちそうになるのを、必死でこらえていたのだ。


……今から遡ること7年前。

近所の家とか訪問するの久しぶりだぁーと思いながら
わたしは自分の車の駐車場を確保するため、電話も知らない家のインターホンを押していた。

「すみません。近くのマンションの者ですが、駐車場借りたいんですけど…」
出てきたのは、お婆さんといえるくらいの歳の方だった。


駐車場には空きがあり、料金は少し高いけどしぶしぶ了承。

「じゃあ支払いはどうすればいいですか?」
何日までに、この口座に振り込んで、みたいなことになると思っていた。

「いつでも持ってきてくれればいいから」

は??

「え、持ってくるってここにですか?
え、それはちょっとお互い面倒ですよね。銀行とかに振り込みますから、その方が良くないですか?」

「振り込みなんてしてないのよ。ほら、別にここに持ってくるだけだから、すぐでしょ」

そうじゃなくて、振り込むのはわたしなんですけど。
いやいや、えーー。
家賃を手渡しで大家さん家に持ってくってことですか?
なんですか、ここは昭和ですか?

わたしも結構食い下がったのだが、振り込みはしてないの一点張り。
仕方なくわたしが折れた。
なんといってもマンションに一番近い駐車場はここしかないので、わたしが折れるしかないのだ。

それにしても、この令和の時代。
7年前は平成だったが、
どちらにしても、昭和と比べて近所付き合いほど希薄になったものはないかもしれない。

いや、わたしなんて、まだいい方だと思う。
マンション内で会う人には一応挨拶している。
防犯の意味もあるし、それくらいは最低の礼儀だと思っている。

だけど、同じマンションの住人だと分かりきっている人でも、挨拶さえ返さない人はいる。

おかしいよね、こっちが挨拶してるのに、ちょっと頭下げるだけじゃない。
と思うのだが、あいつら全く無反応なのだ。

まあいいさ。
 どうせお前ら、ろくな人生送らんぞーー。
と思いつつやり過ごしている。


話は脱線したが…

とにかくそんな時代なのに、
いまさらご近所付き合いみたいに毎月大家さんにお金を届けるんですか〜。
かなり暗い気持ちになった。

しかし悩んだところで他の選択肢はない。

この日から、わたしのご近所付き合いの日々が始まったのだ。


………

インターホン

毎月、月の始めにお金を持っていき、ピンポーンしてお金を渡してちょっとお話しして。


ただ続けていると、はじめは色々詮索されて面倒だと思っていたことが、
ちょっとずつ、おばあさんの方も親しみを持って接してくれるようになってきた。そんな感触があった。

そういえば、
わたしはおばあちゃん子だったから、昔から「おばあさん受け」はいいのだった。


そして年の暮れのある日。

マンションのインターホンが押され、聞き覚えのあるおばあさんの声。
なんだろうと、玄関ホールまで行ってみると、

「これ、大したもんじゃないけど…」
小さな包みを渡された。

「じゃあ、良いお年を…」
おばあさんは、にこにこしながら帰っていった。


え?
不思議な気持ちだった。
だって、大家さんってお歳暮とかくれるんだっけ?

わたしは、なにかよく分からないながらも、
暖かい小さな物を受け取れた気がした。

プレゼント

………


次の年から、さらにおばあさんはわたしにいろいろなことを話してくれるようになった。

おばあさんは一人暮らしではなく、おじいさんと二人で暮らしていた。
子どもさんは2人いて、2人とも結婚して独立しているものの、週に1回くらいは会える距離にいるみたいだった。

大きなお宅は庭も広くて、いろんな木が植えられている。
とくに枝ぶりのいい松の木が珍しかったので、
「松の木すごいですねー」
とわたしはいつも感心しながら褒めていた。

「それね、おじいさんが自分でやってるのよ。庭師さんに頼んでもいつも文句ばっかり言うから」
おばあさんは、そんな風に少し誇らしげに言っていた。


そして何回か通っているうちに、おじいさんとも顔を合わせるようになった。

いつもにこにこしているおじいさんで、
はじめは、家におじゃました時に少し顔を見たりする程度だった。

それが、ある暑い夏の日
いつものように、おばあさんと話したあと帰ろうとすると、
おじいさんが
「これ持っていきなさい」
袋いっぱい採れたてのきゅうりをわたしに向けた。

おばあさんも、にこにこしながら、庭の一角、きゅうりの葉が青々と茂っている辺りを指さした。
「いっぱい採れるから、採らないと大きくなり過ぎちゃうの」
と、そのビニールの袋をわたしに手渡した。

手にすると、それはちょっと暖かくて
むっとするような夏の臭いがした。

きゅうり


………

時は過ぎて
今から1年半ほど前の冬、社会はおかしな状況に陥った。
人と会うこともままならない状況。

それでもわたしは相変わらず駐車場代を届けていた。

おばあさんには持病があるようで、来客には直接会わないようにしている時期があった。

その頃には、さすがに毎月ではなく、2カ月に1回まとめて支払うようにしていたが、その回数を減らすなんて、まったく思いつかないくらい習慣になっていた。

わたしがお宅にうかがうと、おばあさんの代わりにおじいさんが出てきて、
おばあさんの
「ごめんねー」
と申し訳なさそうな声が奥から聞こえてくる。

「お元気そうで良かったです」
わたしはそれだけ言って、早々に帰っていた。

………


そして、やっと高齢者にワクチンが行き渡ろうとしているこの頃。


……遡ること1時間前。


今日は暑いし、駐車場代払うの明日にしようかな。

もう慣れたこととはいえ、忙しいときとか暑いときなんかは面倒だと思ったりする。
玄関先で話が長くなっちゃうとけっこう辛いよな。
そんなことを考えてた。

いやいや、先延ばしにしたところで何もいいことないか…。
これから夏に向かって、どんどん暑さも増していくだけだ。

わたしは思い直して、おばあさんの家のインターホンを押した。
「はーい、入っていいわよ」
いつものおばあさんの声だ。

「こんにちはー」
おばあさんは、いつもと変わらない様子で出てきてくれた。
と、思っていた。

いつものようにお金を渡して、でもとくに話が始まる感じもなく。

まあ、こんな時期だし、長々と話するのもよくないしねー。
わたしは早々に帰ろうとした。

「ねえ、庭にトマトがなってるんだけど、先週カラスに全部食べられちゃったの…」

おばあさんは、唐突にトマトの話を始めた。
「まだなってるかもしれないから、全部採っちゃってくれないかしら…」
とまどうわたしを促すように、おばあさんは庭に出てトマトのある方へ進んでいく。

家庭菜園にしている場所は庭の少し高い所にあって、階段5段くらいのその上にあった。

トマトは段の下からでもよく見えたが、赤くなっているのはほとんどなく、鳥に食べられて穴の開いたちょっと青いものが残ってるだけだった。
「赤いのはないみたいですよ。最近カラス多いですからねー。かじられて穴が開いたのもありますね」

なぜか、おばあさんの顔がみるみる曇っていくように見えた。
「おじいさんが今入院してるから、わたしじゃ採れないのよ。上の方へはこわくて上がれなくて」

前に来た時に、おじいさんが転んで入院したとは聞いていた。
おばあさんも、1年くらい前に足を怪我して、しばらく杖を使っていたから階段はこわいのだろう。

「トマトがないなら、そこにインゲンがあるでしょ。それ全部採っちゃって」
おばあさんは、今度はインゲンを採るように言う。

仕方ない。
わたしは階段の上の小さな家庭菜園に足を踏み入れた。

それにしても、野菜が少ないかな。
去年の今頃ならきゅうりがいっぱい茂っていたのに。

言われるままインゲンを探したが、あまり水もやれていないのか、枯れそうなのが2、3本あるくらいだった。
「あまりないみたいですけど…」

地面の近くだからか、かなり暑い。
わたしは、滴る汗を拭いながらインゲンを探した。

「ほら、そっちになってるから、そこ。
あっちにもある。そこにもなってるでしょ」
おばあさんは、執拗なくらいインゲンを採らせようとする。
わたしはいわれるままに、幾つかを手で捥いではおばあさんに渡した。

「もうね、野菜はこれで最後だから…」
おばあさんは、静かに言った。
「おじいさんね、もう治らないかもしれないのよ…」


「…でも、怪我なら時間がかかっても治りますよ。大丈夫ですよ」
わたしはそう言うしかなかった。

「おじいさん、身体が丈夫な人だったから家に戻ろうとしてね。
また転んじゃったりして、ちょっとボケてきたみたいだし、もう戻れないかもね」


…なんだろう。
何かがわたしの奥から込み上げてくるみたいだった。

たぶん、わたしが今収穫している野菜を植えたのはおじいさんなんだろう。
その野菜が今はこんな枯れそうで、わたしがインゲン全部採ったけど、もう全然残ってなくて、

いつもあんなに葉が青々と茂ってて、いつもにこにこしてて、袋いっぱいのきゅうりを渡してくれて、
道で会ってもにこにこしながら挨拶してくれて。

きゅうりの葉

あのおじいさんが、もう戻れないかもしれないの…

涙がこぼれそうだった。

でも、おばあさんの前で泣いたら駄目だ。
わたしは涙をこらえて、まだ暖かいインゲンを手にマンションに戻った。


どうしてなんだろう。
どうしてわたしこんな気持ちになるんだろう。
面倒な近所付き合いだと思ってて、親戚でもないし、ほんとに近所のおじいさんってだけで。

なのに、なんでこんなに悲しくなるんだろう。


せめて、わたしは何か出来ないだろうか。
おじいさんやおばあさんのために。

いや、たぶんそんな簡単なことじゃないだろう。

だけどもし、2カ月後
おばあさんの家をたずねた時、もっと悲しいことを聞いたら、
いったいどうすればいいんだろう。

わたしはいったい、どうしたらいいんだろう。


こんな時代
近所付き合いなんかしたことなかったから
こんな時どうしたらいいのか。

本当にさっぱり分からないんだ。


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