『進撃の巨人 The Final Season』#60~68 感想
前回投稿記事で述べたように、『進撃の巨人』をアニメ第1期から追いかけて視聴していた訳ですが、ようやく『進撃の巨人 The Final Season』の最新話まで追いつきましたので、最終章についても少し触れていきたいと思います。普通にネタバレしていきますので、ご承知おきください。
まず、『進撃の巨人 The Final Season』はオープニングからして特異なんですよね。
第3期まではLinked Horizenが主にオープニングを担当していました。第1期オープニング『紅蓮の弓矢』はあまりにも有名ですが、調査兵団のような勇敢さを感じるような曲が多かったですね。
最終章のオープニングを担当するのは、神聖かまってちゃんです。これまでのオープニングとは打って変わり、映像も相まって狂気に満ちています。
オープニング映像といえば、キャラクターが全く登場しないのが異質と言えるでしょう。自由の象徴ともいえる「鳥」が墜落し、着色された「爆発」だけがひたすら映し出される。まるで戦時中のプロパガンダを見ているようです。爆発に巻き込まれた兵士は皆砕け散っていくが、それでも「進撃の巨人」は進み続ける...本作の結末を暗示したかのような映像です。原作を読んでいないので、結末は全く存じ上げませんが。
『進撃の巨人 The Final Season』では、間違いなく「戦争」がテーマになっており、これまでの「対巨人」よりもスケールが大きくなっています。パラディ島のエルディア人とマーレ人がついに戦争へと歩み出す…そんな流れです。
第60話以降はマーレ人視点で描かれており、「主人公ってライナーだったっけ?」と思ってしまいました。マーレの人々が暮らす様子は、パラディ島で暮らすエルディア人と何ら変わりありません。
そんなマーレ人は、エルディア人のことを巨人に化ける「悪魔の民族」だと恐怖します。一方、パラディ島のエルディア人にとって、平和を脅かす「侵略者」のマーレ人は脅威となるわけです。
マーレ側によるパラディ島への「宣戦布告」を経て、奇しくも主人公であるはずのエレン・イエーガーの強襲によって戦争の口火が切られることになります。
序盤ではマーレ人の視点から物語を展開させているため、大量虐殺するエレンが「悪」であるかのような印象を植え付けれられます。とはいえ、壁を破壊して壁内人類を殺害したライナーに「正義」があるわけでもない。
また、この強襲の最中に、ライナーの姪であるガビがサシャを殺しますが、それを「悪」だと断じることも難しい。ガビはかつてのエレンと同じ立場なんですから。それを否定することは、エレンが「巨人を駆逐してやる!」と誓ったあの日を否定することに同義です。
最初、「ガビ、絶対許さねえからな…」という気持ちになったことは否定しませんが。サシャは古参キャラですからね、思うところもあります。
かつて命を張って巨人から少女を救ったはずのサシャが、今度は少女に命を奪われる...そんな見たくもないような残酷な世界を平然と突き付けてくるのは、最終章も変わりありません。むしろ、これまでと比べても残酷なシナリオです。
アルミンが和平交渉を口にする場面もありますが、巨人に化ける「悪魔の民族」を世界が受け入れられるはずがない…とエレンは主張します。
そんなアルミンの願いも叶うことなく、戦争へと突入してしまうわけですね。
マーレに潜入していたエレンも、マーレ人が自分と「同じ」人間であることを当然理解しています。それでも、憎悪や恐怖から始まったこの戦争はもう止められない。「同じ」人間同士で命を奪い合うような戦争に正義などあるはずもない。
『進撃の巨人 The Final Season』は、パラディ島が島国の様相であることも相まって、まるで第二次世界大戦のようです。エレンによるマーレ強襲は、さながら真珠湾攻撃といったところでしょうか。新聞報道で「勝利」を演じるところまで皮肉めいた形で描いています。
そんな戦争の虚しさや人間の愚かさをディープに、そしてシニカルに描いた『進撃の巨人 The Final Season』。もはや「巨人を駆逐してやる!」はどこへやら...ですが、テーマ性や制作会社が変わっても『進撃の巨人』の面白さは健在でしたね。
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