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16歳の僕へ、30歳の私から

#この仕事を選んだわけ

この文章は、パナソニックとnoteで開催する「#この仕事を選んだわけ」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

その日は天高く燃えるような秋。僕の希望とは裏腹に天気は最高で、気分は最悪だった。

体育祭の渦中にこだまする、応援団の声。

「紅組、バトンが渡ります!」

放送局から声が響く。リレーで自分が走る順番が近づいてくる。鼓動が早くなり、血の気が引いていく。

ああ嫌だ、僕の番が来なければいいのに。

吐き出しそうな気持ちを抑えこんで、冷たい手でバトンを受け取る。

走る、ひたすらに走る。しかし、周りはどんどん自分を追い抜いていく。イヤダイヤダ嫌だ。迷惑はかけたくない。そう思うたびに頭の中で電灯がチカチカと点滅する。

Aくんは、僕を見下すだろうか。Bさんは、紅組が負けたらどう感じるだろうか。C先生は、この状況を見てなんと考えているだろうか。

ぐるぐるぐるぐると、嫌な雲が頭の周りに渦を作る。

カーブに差し掛かり、不安が一気に押し寄せる。足がもつれる。視界がぐにゃりと右に曲がる。後頭部に激痛が走る。天地が逆転する。

観客席からは「あ〜あ...」という大きなため息が響き渡る。ああ、またやってしまった。

人の顔色を考えて、やってしまうのが、僕だ。

あの人は何を考えているのだろう。この人は僕をどう思っているのだろう。人の気持ちのうらっかわを想像しては、ヘマばかりしてしまう

それが、僕だった。

ちっぽけで傷つきやすい自分

自己紹介を先にしたいと思う。私、井領明広は長野県上田市という町で、ちいさなコンサル会社を経営している。

中小企業の経営者に対して、経営やIT戦略の助言を行う日々だ。

新卒で大手のIT会社、後にクラウドサービスのベンチャー企業に転職した。25歳で独立、起業し早くも30歳を迎える。

直近では富山県デジタル・働き方推進副補佐官として、官公庁向けのコンサルティングも行っている。私がどういった人間なのかはこちらの記事が詳しいので割愛させていただく。

さて。

冒頭にもあったが、私は気はめっぽう小さく、人の心の中ばかり気にしている鈍くさオブ鈍くさ人間だ。

昔から運動神経は抜群に悪く、人付き合いも苦手。

随分カイゼンしたが、子供のころからトゥレット症に悩み、小さい頃は緊張すると瞬きや音声チックが止まらなくなることも多かった。

トゥレット症候群とは、チックという一群の神経精神疾患のうち、音声や行動の症状を主体とし慢性の経過をたどるものを指す

wikipediaより

しかしこんな私が、だ。企業経営者に対してコンサルティングなんぞ行って、報酬を得て、それで生活できているのだから。10代の私はさぞ驚いているだろう。

ここに至るまで波乱万丈の人生であったが、その出発点。人生を変える大きな大きなターニングポイントがどこかと言われれば、明確なタイミングがある。

それは「16歳」だ。

16歳が出会った16歳へのメッセージ

人より獣のほうが多いんじゃないかなといった具合にドがつく田舎出身の私にとって、娯楽は長らく「読書」だった。「ゲームは駄目だけど、本なら無限に買ってやろう」という母親の粋な計らいには助けられた。

本はいい。お話はうまくできなくたって、本は僕と語り合ってくれる。(なんて悲しいんだろう)

漫画コーナーと小説コーナーを行き来するだけだったため、ビジネス書籍なんぞ、まったくもって興味を持たなかった。

しかし。忘れもしない。

ある日、本屋のビジネスコーナーで、明らかに「おうい」と呼ぶ本がいた。ひときわメッセージを送りつけてきていた。真っ黄色な表紙に、デカデカと興味をそそるタイトルがついていたのだから。

タイトルは「16歳からの経営学

その時僕は、16歳だった。

心を考える仕事

著者は、大手コンビニチェーンの名経営者。そこでは、いたって平易な単語で、子供の僕にも分かるよう色々教えてくれた。

その中で一貫して興味を持ったのは、「マーケティング、経営学、商売とは心理学である」という点だ。

雨が降れば鳥五目おにぎりが売れる。逆に暑い日には、"日持ちがよさそう"と感じやすい梅おにぎりを発注する。

どこかとっつきにくそうな「経済学」「お金のハナシ」を、「人の心の動きを知ることこそが経営学である」と断言する。

経営を心理学に落とし込んだ点に彼らの強さがあった。

そしてそれは、人の気持ちやその裏側を、16年間毎日毎日毎日...考え妄想し、想像しつづけた私の脳内に電撃が走った。

そうか。

「人の、心を、考える」

そんな、仕事が、この世には、あるのか。

何か肩の荷がおりたような。だれかに認めてもらえたような。そんな安堵があったことを今でも鮮明に覚えている。

狭い世界からの救済の時間

よくよく考えると、身の回りにはたくさんの「経営」が溢れていた。地元は田舎のため大きな会社も無い。そのため、町には木こりや農家など、個人事業主が沢山いた。

ちょっと町へ出てラーメン屋に行く。ラーメン屋の店主だって経営者であり、経営学がそこには確かに存在する。同じラーメン屋でも、人が沢山入るお店もあれば閑古鳥が鳴くお店ももちろんある。

その違いは何なんだろうと、考える、想像する。

そこにいる人は何を考えているんだろうと想像する。

実際に見て、食べてみて。私自身がどう感じるのかと、想像する。

経営学を学べば学ぶほど。

経営に関して想像すればするほど。

反比例するように、誰かが自分を攻撃するのではないかという、虚無な想像の時間は日に日に減っていった。

#この仕事を選んだわけ

思えば、16歳までずっと座りが悪い人生だった。人の顔色ばかりを気にして、自分のやりたいこと、目指したいこと、夢なんて一度も考えたことはなかった。

小学校の図工の授業で将来の夢を粘土で作るときには、「公務員」のオブエジェを作ったほどだ。

しかし、「心を想像する経営学」という、私自身を形取ってくれる居場所が見つかってから大きく船旅は変わった。

長らく、その居場所を大切にし、育ててきたのだと今になって思う。

人の顔色を伺うという罪悪感から開放され、人の気持を想像することが尊い仕事であると、経営学を通じて学ぶことができた。

#この仕事を選んだわけ は30歳になった今の私ならようやく答えられる。

私が、私でいてもいいと言ってくれた。

私を救った存在が、経営学であること。そしてその経営学に恩返しをするために、私は経営者を助ける仕事に就いたのだと。

答えのありか

「プライベートと仕事」

「オンとオフ」

「ワーク・ライフ・バランス」

どうして、「働くこと」と「それ以外」はまるで別物のように区別されるのだろうか。

きっとそこには、本来線引など無いはずだ。私達は、長い長い「人生」というひとつの道を歩んでいるのだと思う。そこには「仕事x趣味」だとか「オン xオフ」といった対立構造があるのではなく、ひたすらに「人が生きる」という尊いたった一つの行為しかない。

これからどうしたらいいのかわからない。どんな会社に就職したらいいのかわからない。大手がいいのかベンチャーがいいのかわからない...そういう声は沢山聞く。

それでいいのだと思う。

仕事とはこうだ、休みの日はこうしないとだめだ。こういう生き方をしないとならない、なんてルールは無い。ゆっくり歩むことも、止まることも。いつ止まるのか、いつ走るのかも自由だ。それらすべてひっくるめて、人生なのだと。

人生は人それぞれだから、そこに明確な答えは無いし分かるはずもない。

選択は変えられるし、変わるものだと思う。

しかし、自分自身、持って生まれた魂は変えられない。だからこそ、「自分の心の中」に。すでにそこに、きっとあなたが求めている答えがある。

私は、自身の魂のある場所を、1冊の本から教わった。しかしそれは本当は、答えを作り出したのではなく、自分が生まれたときから持っていた大切な「何か」に気がついただけだ。

ネットのニュースや他人の行動から、自分の夢やあるべき姿を捏造しなくたっていい。あなたが、あなた自身と向き合うだけで答えは見つかる。

悩んでいるあなたに手を差し伸べるのは、あなた自身だ。

瞬きする間に秋は過ぎ、凍てつく寒さの冬が、長野県に飛来する。

現在の時刻は24時。

外に出れば、息は凍り、肺の中いっぱいに冷たい風が満たされていく。都会ぐらしの中では気が付かなかったが、澄んだ空気の中にいるとこんなにも星が存在したのかと、驚くことがある。

答えは作るものではなく、そこにもう在るものの中から、探すものだ。大丈夫。きっと、すでにそこにある。

私は、16歳の僕にそうメッセージを綴ったたところで、筆を置く。

iryo


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