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【灰色の物語】(文学#26)

国の政策でも、芸能人の不倫騒動でも、戦地の悲惨な現状でも、

何らかの情報が発信される。ネットやテレビで拡散される。

それに対してAだと言う人がいる。

そのAだと言った人に対して、Aではないという言う人がいる。

両者の争いを見て、むしろBではないか言い始める人がでてくる。

よくわからないまま見当違いのCを言う人がいて、またCではないと言う人、Dだと言う人がつづいていく……

沈黙して、何も語らない人もいる。

興味が無いか、情報に疎くて、無知の人もいる。

そういう人たちに、おまえはAか? Bか? それともCか? と圧力をかける人がいる。

やがて、二つか三つか、いくつかの少ないグループ収斂されて意見は単純化されていく。

グレーな曖昧さは批判され、クロかシロかの境界線が決められる。

それは国境のように隔絶し、壁のできた両者は徹底的に争ったり、断絶したりする。

物語にもクロとシロがある。

「黒い物語」はパワフルな物語である。

影響力のある誰かが、Aだという。BやCもあるが、やっぱりAこそがすばらしい生き方なんだとパワフルに主張する。

その勢いは感動的ですらあり、とくに不安を抱えていたり、自信のない人は呑まれてしまう。

国が作者であれば、プロパガンダとなる。

「白い物語」は自由の物語である。

黒い物語が世界を席巻すると息苦しさを覚える人がいる。黒に染まりきれない人が、黒ではない色、他の色、他の生き方を自由に探し求める。

白地には、赤や青や黄色といった他の色も合わせることができる。黒ですら載せられる。他の色を呑み込んでしまう黒地には乗せられない。

はじめは自由に見えた白い物語も、共感する人が増えて、同調圧力が働きだすと、色が濁って黒くなる。

「灰色の物語」は不条理の物語である。

あいまいなようで、白と黒のどちらにも染まらない。

あいまいなので、白と黒の二分思考しかできない人にはわからない。おもしろみがない。当然、流行もしない、売れもしない。

けれど、白か黒かのくり返しに疲れた人には、癒やしともなる。

安易に白か黒を正しいとは信じられない人には、新しい希望となる。

人はときに、己の力ではいかんともしがたい不条理にみまわれて、白も黒も信じられなくなることがある。

そういうときに「灰色の物語」が必要になる。

多くの人は、一時的には灰色に休息をもとめ、やがては白か黒かへ帰っていく。はっきりしない灰色は不安だからだ。

灰色の世界に留まることを決めた孤独な作者だけが、そこに残って書きつづけていればいい。

よく磨かれた灰色は、ときに白銀のように輝くだろう。

緋片イルカ 2020/04/24