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〈実践編〉夫に本音を伝える

2つ前のnote記事「『本音と建前』のない素直な世界」にて、私の夫が非常に素直であること、言われた言葉は全てその人の本音だと疑わない性質の人だということを書きました。だから彼に何かを伝えるときにイヤミや建前を口にするのは禁物で、とにかくまっすぐ思っていることを言う、という態度を心がけています。そうしないと、私の思いは彼に何も伝わらないからです。
今回のnoteでは、ひねくれ者の私がこれまで、夫にまっすぐ本音を伝えてきた苦悩の事例をご紹介します。

初級編:デザートシェアを断る

二人でデザートを食べているときに「一口ちょうだい」と夫から言われることがあります。夫の口は大きめで、彼にとっては「一口」だけでも、大抵のデザートは私にとって「半分になっちゃった」と思う羽目になります。
「半分になっても全然OK、食べて食べて」と思える時と、「やだ、一口もあげたくない。このデザート全部を私一人だけで食べたい」と思う時があります。後者の感情は、自分の中でどこか「がめつい」「みっともない」「ケチだと思われる」と、外に出してはいけないような気分になるものなので、通常であれば押し殺してしまいます。
「一口ちょうだい」と言われて咄嗟に「やだ」と思っても、「いいよ」と笑顔で言いたい自分がニョキニョキと現れて「いいよ」と言ってしまいがちです。いいよと寛大に言える自分でいたい、と思ってしまうのです。
が、夫に対しては、この「いいよと言いたい自分」を秒で脇にどかし、「やだよ、あげない」と笑顔で明るく答えることにしています。
そう言われて夫は特にめげることなく、私を「ケチ」と罵倒することもなく、「ダメか~」と軽い答えです。むしろヤダと言われて喜んでいるようにも見えます。
今まで私が咄嗟の感情を押し殺し続けた挙げ句に不満を溜めて爆発させた事が何度もあることから、小さな不満であっても都度言って欲しい、と彼は常々表明しています。それを私が実践している姿、本音と違わずノーを言える私の姿を見るのは喜ばしいと思っているかもしれません。

中級編:婚約記念品のダイヤを欲しがる
昔々20年近く前、夫とめでたく婚約し、結婚に向け諸手続を進めて行く中で、ある日「婚約指輪はいらないよね」と言われました。
彼にとってダイヤモンドは鉛筆の芯と同じで単なる炭素の塊、そこに何十万のお金を支払うのは馬鹿馬鹿しいという価値観だったのです。
それでも私の誕生日などには私の希望するアクセサリーを贈ってくれていましたが、ダイヤイコール鉛筆の芯、の考えを時々披露されて認識していた私は、ここで彼に同調し「うん、いらないよ」と言いたくなりました。が、私はこれもなんとか、脇にどけることに成功しました。
「うん、いらないよ」の「うん、い・・・」まで言ってしまったのですが、すんでのところで
「うん、い・・・るに決まってるでしょ!」と言えました。偉いです私。
本当に心から「いらない」と思えたなら「いらない」と返事をしたのですが、よくよく自分の心を探った時、「いらない、と言われた夫がそれを建前だと見抜いて、こっそりサプライズでダイヤを用意してくれるシンデレラストーリー」を夢見ている自分に気づいたのです。
前述した通り、夫は言葉通りに受け取る人なので、いらないと言われたらそのまま「やっぱりいらないんだな」と思って終了です。
今現在の私だったなら、婚約のダイヤはなくてもいい、ない方がいいと本心から思うかもしれません。けれど、当時の私はダイヤが欲しかった。例え炭素の塊と言われようと、欲しいものは欲しい。大きなダイヤでなくてもいいから、婚約の証としてダイヤをもらった、という実績が欲しかったのかもしれません。
夫からは明らかに反発を含んだ言い方で
「ええっ欲しいの?だって炭素の塊だよ?鉛筆の芯と一緒だよ??」
と念押しされました。が、私は折れませんでした(鉛筆の芯だけに)(全然うまくない)。
「鉛筆の芯と一緒でも欲しい。というか、それを言うならあなたの大好きな車だって針金と一緒だけど、あなたは車が欲しいでしょ」
と言い返しました。我ながら良い例えを突きつけたものです。
そう言われた夫は唸りました。
「針金と車は・・・・・・一緒だね、確かに・・・・・・」
あなたにとってダイヤが鉛筆の芯であるように、私にとって車は針金。それぞれに異なる価値観があると認識してもらえた出来事だったと思います。

上級編:もらったプレゼントがイマイチだと伝える
10年ほど前、タニタ食堂のヘルシーメニューが世間で話題となり、タニタ食堂メニューのレシピ本が立て続けに発売されました。
テレビっ子の夫はすぐに影響されてそのレシピ本を買い、私にプレゼントしてくれました。せっかくもらった私は本のレシピを見ていくつかおかずを作り、おいしくヘルシーなレパートリーが増えたわ~と喜んだところ、夫から喜々とした顔でこう質問されました。
「料理の本をプレゼントされると、うれしい?」
夫のテンションを見て「うん、うれしい」と言ってあげたい気持ちは山々でしたが、ここは心を鬼にして、一回深呼吸して、本心を笑顔で伝えました。
「私が喜ぶものをあなたが考えて選んでプレゼントしてくれた、そのことはとてもうれしい。でも、料理の本をプレゼントされると『もっと料理の腕を磨くよう精進して』と言われているようで、正直微妙。それよりは、一回だけでもいいからあなたが料理の本を見ながら料理を作ってくれる方が、100倍くらいうれしい」
さすがの夫もこの返事に少し、しょんぼりしているようでした。しかし「料理の本をプレゼントされると『もっと料理の腕を磨くよう精進して』と言われているよう」、つまり料理が下手だと間接的に言われているようだ、と受け止めてしまう心情には納得したようで、それ以来料理の本を贈ってくることは無くなりました。代わりに、彼自身が料理を作ってくれる日が、以前より格段に増えました。


誰かに何かを言われたとき、見栄を張りたい自分や相手をがっかりさせたくない自分が、本音を言おうとする自分を強力に邪魔してくることがあります。
本音を曲げて偽りを答えると自分の中にわだ
かまりが残りますがそれ以上に重要視したいのは、相手に本音を言えないとは、実は相手を信用していないことだ、という点です。
勇気を出して、正直な思いを言っても私のことを受け止めてくれるはずと相手を信じて、けれど言葉は選びつつ、本音を言うようにしていきたいものです。




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