見出し画像

自分の思いを言っていいんだよ——中学の思い出

正確には覚えていないが、小学3年か4年から、学校の合唱でピアノ伴奏をしていた。
私が今住んでいるエリアの小中学校では伴奏をやりたい児童や生徒のオーディションが開催され、勝者が伴奏の座をゲットしているらしい。だが私の小中学生時代は全く違っていた。
伴奏を「頼まれていた」というのも違う。教師から依頼の言葉をかけられた覚えは一度もない。また私自身も「伴奏をやりたい」と言った覚えは一度もない。
私がピアノを習っていて伴奏できるということが、いつの間にか学校側に知られていたようだ。習い事調査などだろうか。
ある日突然「これ、来週から練習するから」と伴奏の楽譜を渡される。私は特に疑問も異論もなく、1日2日ほどで渡された楽譜を弾けるよう自宅で練習する。歌の練習が始まる時、教師からの目の合図を受け私は無言でピアノに座って伴奏する。それが毎年の合唱コンクールの時期に淡々と続いた。
同じく毎年伴奏をしていた姉に聞いてみても「そんな感じだったね」ということだから、当時の伴奏者の扱いというのは、少なくとも私の母校では似たようなものだったと思う。
私と同様「ピアノ伴奏をする児童/生徒」が各クラスに1人ずつ存在し、当然のように毎年伴奏を担っていた。

私にとって伴奏することは苦でも楽でもなく、ただ「そう言われるから」自動的にやっていたことだった。
しかし中学3年の合唱コンクールの歌・伴奏・指揮者決めの学活で、あれ、と思ったのだ。

学活ではまず曲目が2曲決められ、続いて司会進行役が「伴奏はうるかさんで、次は指揮者を決めますがやりたい人はいますか」と議題を進めた。
私が伴奏ということは、まるで決まり切っていること。いつもそうだから。
私にしても今まで毎年、受けて入れてきた。
しかし今年私は中学3年生で、よく考えるとこの合唱コンクールは、この同級生たちと開催する最後の合唱コンクールになるではないか。

私は同級生と過ごす時間がとても好きだった。
みんなと歌いたい、と急に思った。
そして何も考えずに「あのぉ」と手を挙げ発言した。
「私、今までずっと伴奏をやっていて、中学最後の合唱コンクールは一曲でいいからみんなと一緒に歌いたいんです。一曲でいいから、誰か伴奏を代わってくれませんか」
言い終えた時のクラスメイトの表情を、担任の教師の表情を、なんと表現すればいいだろう。
私は発言しながら内心で「これは『いやいやそんなこと言って困らせないでよ』と言われて却下されるな」「自分勝手なことを言って、と批判されるかもしれない」と、発言したことを後悔し始めていた。
けれど実際には、私の言葉を聞いたその場の全員、誰もネガティブな受け止めをしていないと表情から読み取れた。
今思い返して、強いて言葉にするなら
「そうか。うるかさんがそんな風に思っていたとは、思いもよらなかった」
という驚きの面持ちだっただろうか。小学校からのそのまま持ち上がりの中学校で、私が小学生の時からずっと伴奏者であったことはクラス全員が知っていることだった。
教室はしんと静まりかえった。担任も黙って見守っている。
すると1分もたたないうちにA子ちゃんがサッと手を挙げ
「私、ピアノ弾けるからやります」
と言ってくれたのだ。

私はめでたく2曲のうち1曲を、合唱コンクールで初めて、歌い手の一人として参加できた。
他のクラスの同級生から「あれ、うるちゃん歌うの!?」とだいぶ驚かれた。
「うん。1曲でいいからみんなと歌いたいってお願いして、A子ちゃんに伴奏代わってもらった」と返事をすると、同級生たちは決まってあの、なんと表現すればいいかわからない表情を浮かべた。母親にもこの話をしたところ、いつもは批判的でいかにも「アンタが黙って引き受ければ良かったのに」と言いそうな母でさえ、あの表情を浮かべていた。
クラスみんなの前で自分の思いを言えたこと。それを誰も否定しなかったこと。A子ちゃんが私の思いを叶えるために手を挙げてくれたこと。そして思いが叶い、クラスメイトと一緒に歌えたこと。これらがひとかたまりの思い出として、私に強く刻まれている。
こうしたいと自分が思ったことは伝えてもいいんだと、開眼した出来事だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?