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ねことヨガ 

はじまりはじまり 

ここは「ねことヨガ」という場所だ。
自由に、気ままに、ねこのように書くところにしよう。
ねことヨガをしているときのような空間にしよう。
後付けだけど、なかなかいい。

卒論をかいたとき、主任の教授には人柄がでていい!と言われたが、
もうひとりチェックしてくれた知らない教授には、“これは論文ではなくエッセイだ”と言われた。こんなに頑張って書いたのに外からやいのやいの言われて不愉快だったが、ほうほうこれがエッセイというのか、とも思った。

エッセイという響きにその頃からか惹かれている。

さあ、そのエッセイを思う存分、気軽に気ままに書いてやるぞ、なんて意気込んだら、綺麗にかっっこよく初の記念の1ページ目を完成させたい、なんて邪念が生まれて、全く気ままにならないではないか。

Twitterでも、親しい友人とのLINEでも、気楽に!と設定してもいつも考えすぎてしまう。大学入学の際の目標にも「気楽に生きる」と書いたのを思い出した。
この言い方でいいか、ここは漢字だと強いか、今のわたしにぴったりくる絵文字はこれか、いやこれはテンション高すぎないか、この表情とこの表情の間はないのか、、、ニュアンスが伝わらなくて誤解をうまないか、こうやって改めて書いてみると考え始めたらきりがないものだ。対面だと相手の表情がすぐわかるから、なんてかこうとしたが、相手の気持ちが本当にわかっているかなんて本当にはわからないのだ。

卒論だって、結果的にエッセイになっただけで、十分な時間を費やしたものなのだ。
やはり、これはわたしのための新しい試みなのだ。

小さい頃「完璧な人間になりたい」と思ったことがある。授業で当てられてわからなくて真っ白になったり、聞かれている質問の意味すらわからないことがあり、自分はふつうのことができないから、みんなみたいにふつうになりたい、知らないことのない人になりたいと思っていたのだった。今なら、完璧な人はいないのだよと教えてあげられるな。
完璧じゃないからいとおしいものだということも今なら言えるな。

30行前くらいの自分にも伝えてあげよう。

かんぺきじゃないからいいのだよ。







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