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青春の終わりの後

corneliusが絶好調。今年の夏に文春から出るという中原一歩氏の本を読んだら気持ちに区切りがつくんじゃないかと思っている。社会の側の課題は当然おわっていないけど、多分生きているうちは無理なので、それはそれとして本人がいきいき活躍してくれていることに感謝しよう。

高校の頃好きだった。
この位の年齢にありがちなことだろうけど、中3あたりから将来の不安が酷く、毎日自殺のことを考えていた。そういう時期に現実逃避をさせてくれた恩人みたいなものだった。当然、後追いでフリッパーズも好きだった。
なんて格好いいんだろう、この世にこんなものがあったなんて!全然死にたくない!お小遣い持ってCDショップに行って雑誌とかチェックして毎日楽しくなった。好きであることになんの迷いもない。そんな感じだったので、例のいじめ紀行もショックではあっても、好意的に読もうとしたため、すごくいい人だという印象をもっていた。電話をかけてチケットをとって親の許可もとって初めてライブに行く。生きるのが楽しい!(わたしが本当に好きなのって小沢くん?小山田くん?どっちなの?などというバカみたいな悩みを持つことができた幸福な女子高生になることで、自殺への興味が失せた)

現実逃避なのでなにも解決していない。
でも死ななくて良かったんだ。冴えなくてもちゃんと生きている。高1の夏以来「死にたい」と思うことは今まで一度もない。

この3年くらいの間、時代の空気と一緒に、あの時期の自分自身のこともよく思い出した。年齢と経験を重ねた分は強くなったけど、根っこは変わっていないんだろう。あんなに将来の不安に脅えていたくせに、仕事も続いているし地味ながら悪くない人生だ。

あの時代に許されていた表現も今では無理だという。でも当時だって傷つくひとはいた。かといって「正しく」ない描き方でしか伝え難いものはある。どうしていくべきなんだろう。
この件を「キャンセルカルチャー」として論じることの是非は識者の間でも判断が分かれている。
「インフォデミック」を防ぐことは可能なのか。
立場の異なる様々なひとが、この炎上事件に疑問を持ち発信した。障害を持つ方を身内に持っていたり、自身がいじめ被害者だったりした市井のひとによるものもあり、そのどれもがとても真摯なものだと思えました。

聞き慣れない言葉を覚えてたくさんの難しい問題に向き合わないといけない複雑な事件で、しかもどんなに慎重さをもって語ったとしても「いじめ」や「障害者差別」が関わる問題である以上、かつて被害者だったひとや差別を受けたひとを傷つけるおそれがある。
重く難解で答えの出ないことを考えるのには、きっと向いていなかったのに、必要に迫られて3年間考えざるを得なかった。
関連する本を読んだり番組を見たり、出て来た情報を追うことしかしてこなかったのに、今頃グッタリと疲れが出ている。大変な仕事をされた方々には感謝しています。彼らの活動無しには、わたしはただのファンでしかなくても、この炎上を乗り越えることが出来なかったでしょう。

30周年ライブのお客さんたちってどんな感じなんだろう。わたしみたいなタイプも多いだろうな。でも、当時を知らない新しいファンとも一緒に楽しめるはず。3歳のこどもでも遠い国のひとでもファンとして歓迎されている。これはとても嬉しいことだ。

昔の友達を誘って、七夕に会いに行く。
彼女は小沢派だったけど、その夫氏は小山田似なんだ。昔話に花を咲かせたい。お互いに、いい大人としてやってきたからこそ、久しぶりの再開で小娘に戻るのも楽しそうでしょう。ちゃんと過去は過去として、終わったものとして大切にできていると、お互いに暗黙の了解があるからできること。

決めている。七夕がもうひとつの区切り。
これが終わったら今度こそ、日常に帰る。
体調管理、万全で挑む!