大学化学復習シリーズ  なるべく分かり易く解説するつもりの有機化学反応概説 第一回「求核置換反応」

0.はじめに

 どうもお久しぶりです。Hazaculaです。今回は、大学で学ぶ有機化学反応を概説するシリーズをお送りしていきたいと思います。
 私がこのシリーズを書こうと思い立ったのは、会社での後輩との会話が切っ掛けです。私はめっき薬品メーカーで働いているのですが、化学系の人が集まる業種であるにも関わらず、有機化学が分かる人というのが非常に少ないのです。有機化学が分からない人に話を聞いてみると、「どの結合が切れやすいのか、あるいは切れにくいのか? という点が分からない」ということでした。これは有機化学の本質的な考え方を知らないのだと気づき、可能な限り有機化学反応を単純化して理解しやすく解説する本シリーズを書こうと思い立ちました。
 有機化学は、確かにとっつきにくい部分もありますが、その基本は極めて単純明快であり、原理さえ理解してしまえば応用も効きやすい学問です。有機合成化学に従事する者はもちろんのこと、それ以外の分野でも化学分野に従事する者であれば、理解しておいて損はないでしょう。また、化学と直接かかわりない人でも、例えば「この薬品は発がん性があるんじゃないか?」とか「この薬は作るのが大変そうだな~天然由来かもしれない」などと判断する役にも立ちます。頭の体操としてもいいかもしれません。
 そこで、本シリーズでは有機化学反応のうち特にメインとなるイオン反応を例に取り、可能な限り反応を単純化して、反応機構を理解する肝について徹底して解説する予定です。

1. 基本のおさらい

 まずは基本事項を確認しましょう。このシリーズで頻出する元素は、C、H、N、O、S、F、Cl、Br、Iなどです(実際の有機化学反応で活躍する元素でもあります)。炭素Cの結合の腕は4本、水素Hの結合の腕は1本、窒素Nは3本、酸素Oと硫黄S(専門用語でカルコゲンと言います)は2本、ハロゲン(F、Cl、Br、I)は1本です。

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なぜこのような腕の本数となるのでしょう? それを理解するには、最外殻電子数を考える必要があります。まず主役中の主役、炭素Cを考えましょう。
 炭素の最外殻電子数は4つです。最外殻電子数は周期表を見ればわかります。ある周期の一番左側を最外殻電子1個として、右側に行くに従い2個3個と数えていきます。炭素Cは第2周期の元素です。一番左からLi、Be、B、Cとくるので、最外殻電子数は4となります。

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最外殻電子数と結合の腕の数にどんな関係があるのでしょうか? それには結合がどのようにできるのかを理解しなければなりません。炭素の場合、共有結合により結合を形成します。炭素Cと水素Hの結合を考えましょう
 CとHが1個づつ電子を出し合い、以下の図のように2個の電子ペアーができます。

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このとき、水素Hにとっては炭素Cの電子を1個“共有”することにより“見た目上は最外殻電子数が2個”となります。この“見た目上は最外殻電子数が2個”というのが重要です。ある原子の有する最外殻電子数が、その原子が所属する周期の希ガス元素の最外殻電子数と同じ電子数になると、安定化するという法則(オクテット則という)があります。このオクテット則を満たせるように共有結合を形成することで安定化を図るのです。もう一度周期表を見てみましょう。

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水素Hは第1周期であり、この周期の希ガス元素はヘリウムHeです。その最外殻電子数は2ですね。このため、水素は電子1個を出して電子2個ペアーの共有結合を1本作れば安定化します(共有結合1本を作るのは電子2個ペアーが必要です。なぜ電子2個なのかと言えば、電子スピン上向きと下向きのペアーで一つの結合(専門用語で軌道)を占有する必要があるからです))
 この考え方を炭素Cに適用すると、炭素は最外殻電子4個なので、4個の電子を他の原子と共有して4本の共有結合を作れば安定化できます。そのため、炭素の結合の腕は必ず4本です。同様に考えると、窒素Nは3本、酸素Oは2本、フッ素Fは1個ですね。

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 さて、オクテット則を満たすには、別に共有結合を作らなくても大丈夫です。とりあえず不足する電子をもらっておいて、陰イオンとして存在することも可能です。これは特にハロゲンで顕著です。塩化物イオンCl-やフッ化物イオンF-などはこの典型です。これらの電子配置を見ておきましょう。

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このようになります。この「イオンになることで不足する電子を補う」という方法は、最外殻電子7個のハロゲンや6個の酸素Oや硫黄Sまでは使えますが、最外殻電子数5の窒素Nや4の炭素Cでは難しくなります。電子3つや4つが一つの原子上に存在するというのは、電気的反発により難しいのです。そのため、炭素Cや窒素Nは、どうにかして結合の腕4本と3本を維持しようとします。
 ここまでをまずしっかり理解し、覚えておいてください。この腕の数や電子の最外殻数というのは、今後も非常に重要になってきます。

2.切れる結合とつながる結合

さて、では次は実際の有機化学反応を見ていきましょう。有機反応では必ず結合の生成と開裂(結合が切れる)が起きます。これは考えてみれば当然の話で、炭素原子は必ず4本の腕を全て使って結合をしなければなりないので、新しい結合を作るためには何かの結合を捨てなければならないのです。アルミンも言っているように、何かを捨てなければ何も得ることはできないのです!
では、その切れる結合とつながる結合は、どのように決まるのでしょうか? そしてどうやってそれを見抜けばいいのでしょうか? それを考えていきましょう。ここでは、有機化学の反応の内、かなり最初の方に習う基本的な反応、求核置換反応(SN2反応)を取り上げ、結合の繋がり易さ切れやすさを考えていくことにします。

3.求核置換反応

 まずは以下の反応を考えましょう。ヨウ化メチル(CH3I)とナトリウムエトキシド(CH3CH2O-Na+)との反応です。
CH3CH2O-Na+ + CH3I → ?
有機溶媒や反応温度等は忘れましょう。我々が目指すのは有機反応の理解であって、有機合成技術の習得ではありません。
 で、ヨウ化メチルとナトリウムエトキシドとの反応はどうなるでしょうか? 答えを言ってしまうと、メチルエチルエーテル(CH3CH2OCH3)が生成します。この反応式を書くと、次のようになります。
    CH3CH2O-Na+ + CH3I → CH3CH2OCH3 + Na+I-
 図で書くとこうなります。

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 この反応で新たにできた結合と切れた結合を考えていきましょう。図7より、新たにできた結合はO-C結合であると分かります。一方、切れた結合はC-Iです。なぜこのような反応が進むのか? それを考えるには、以下の三つの点を考える必要があります。
① なぜC-I結合は切れやすいのか
② なぜO-C結合は生成しやすいのか?
③ そもそもなぜその炭素と反応するのか?
 それぞれ整理してみていきましょう。

4.なぜC-I結合は切れやすいのか?

 まず一つ目の疑問点、C-I結合の切れやすさについて見ていきましょう。結合が切れるというのは、どういうことでしょうか? 炭素Cにとっては、新たに別の結合ができて合計4本の結合の腕の数が維持されるので、何の問題ありません。ではヨウ素Iは? 結合の腕1本を失ってしまったヨウ素Iはどうなるのでしょうか?
 実は、ヨウ素Iは炭素Cとの結合が切れる際、炭素との共有財産であった炭素側の電子1個を奪っていってしまうのです!! そう、ヨウ素は泥棒なのでした! 奴はとんでも無いものを盗んでいきました! そう、炭素Cの電子です!

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 しかし、これはヨウ素にとっては仕方ないのです。炭素側に電子1個を残しておいてしまうと、ヨウ素Iは最外殻電子が7個になってしまい、不安定になってしまいます。これを回避するために、炭素の電子1個を奪って一価の陰イオンとなり、安定化を図るのです。
 このように炭素側の電子1個を奪って結合を切る原子は多数あります。実際にどのような原子があるのか見てみましょう。

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窒素N、酸素O、ハロゲン(Cl、Br、I)などがありますね。周期表で見てみましょう。

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周期表を見てみると、これらの原子はすべて炭素Cの右側に位置しています。ここで重要になってくるのが、これら炭素より右側の原子は“電子が大好き”ということです。正確には電気陰性度や電子親和力という概念やパラメータで判断する必要があるんですが、ここでは置いておきましょう。とりあえずここでは、これらN、O、ハロゲン等の原子が“電子好き”ということを覚えておきましょう。
するとどうなるでしょう? これらの原子は、電子を他人から奪って陰イオン(専門用語でアニオン)となることで安定化します。実際、Cl-は食卓に並ぶ食塩(NaCl)として存在しますし、O2-は酸化鉄として身近な赤さびから鉄鉱石の主成分として世界中に分布しています。このように、「これらの原子は電子好きで、陰イオン状態が安定である」ということを覚えておきましょう。
そしてこの「陰イオン状態が安定」というのが重要です。結合が切れた後の状態が不安定なのであれば、そもそもその原子は炭素Cと縁を切ろうとは思わないでしょう。
結合が切れた後も安定で居られる
これが、切れやすい結合に必要な条件です。

5.なぜO-C結合は生成しやすいのか?

 さて次は、なぜO-C結合が生成しやすいのかという問題です。それには、ナトリウムエトキシドCH3CH2O-Na+の安定性について考えなければなりません。
 先ほど、ヨウ素IはC-I結合が切れた後も陰イオンI-として安定に存在できる、と説明しました。では、ナトリウムエトキシドを形成するCH3CH2O-は安定なのでしょうか? 正解は、不安定なのです。ナトリウムエトキシドを水に入れてみると、一瞬でエタノールCH3CH2OHに分解してしまい、安定に存在できないでしょう。一方I-を含む化合物(Na+I-にしましょうか)を水に溶かしても、電離はするものの、Na+もI-もそのまま安定に存在できます。

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これは、CH3CH2O-とI-の相方にH+をくっつけてやると分かります。HI(=H+I-)はヨウ化水素酸であり、ヨウ化水素水は強酸です。これは、H+とI-がそれぞれに安定で、簡単に離れることができるからです。一方で、CH3CH2OHはエタノールですね。いわゆるお酒です。お酒は酸性でしょうか? えぇ、ビールやチューハイやサワーは炭酸が入っているので酸性でしょう。しかし、お酒の一番重要な成分自体はほぼ中性です。CH3CH2O-とH+は自由に離れることができません。酸素Oはイオン状態が嫌いなのです。

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 何でだよ、あんたさっき酸素Oは電子好きって言ったじゃんか!?

って方もいるかもしれないので説明しますと、酸素は確かに電子好きです。しかし、イオンの状態は好きではないのです。つまり、酸素Oは他人と電子を共有結合で共有しながら、その電子を自分のものとしたい、けど電子自体を押し付けられてイオン状態になるのは嫌という、かなり面倒な奴なんです(笑)
 まぁ、酸素の面倒くささは一旦置いておきましょう。文句を言ったところで、酸素が面倒くさいやつなのは変わらないので、ここは飲み込んでもらいましょう。この記事の目的はあくまで有機反応の理解であり、酸素のめんどくささの理解ではありませんし。

 え、でも酸素にはナトリウムNa+がくっついてるじゃん。それでよくない!?

そう思う方もいるでしょう。しかし、ナトリウムイオンNa+は、共有結合が下手なのです。そう、イオン結合しか能のないヤツなのです。一方で、酸素の方は共有結合でなければ満足できません。しかし相棒は共有してくれない冷たいヤツ……しゃぁねぇ、イオンで我慢するか……となるわけです。

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 さてそういうわけで、イオン状態が嫌いで共有結合したい酸素。そんな酸素のところに、ヨウ化メチルCH3Iがいたらどうなるでしょう? ヨウ素I-は単独でも普通に安定な奴です。じゃあ、CH3IからI-が外れて、その後釜にイオン状態が嫌いなCH3CH2O-が入ったら? CH3CH2O-は炭素と結合してCH3CH2OCH3となって安定化し、ヨウ素IはI-となって安定化します。これは、Win-Winの関係ではないですか! これこそが、O-C結合が生成しやすい理由であり、この反応が進む理由なのです。そう、結合生成も結合開裂も、いずれも安定な状態を目指して進むのです。

6.なぜその炭素と反応するのか?

 さて、最後の疑問です。なぜ、CH3CH2O-はCH3Iの炭素と反応するのでしょう? いやまぁ、他に反応できる炭素がいないからってのは分かります。しかし例えば、CH3CH2IやCH3CH2CH2Iが相手だとしても、CH3CH2O-はヨウ素Iがくっついてる炭素Cと反応するのです。これはなぜか?

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 これを理解するためには、先ほど説明した電子好きな原子のことを思い出しましょう。N、O、ハロゲン類は電子好きです。他の原子との結合で共有している電子を、奪おうとするんですね。すると、どうなるでしょう。結合で共有してる電子ペアーをヨウ素I側が奪おうとします。電子ペアーの内一つは炭素Cのものです。それが奪われるということは、炭素は1価の陽イオン(専門用語でカチオン)になりかけた状態になります。

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すると、炭素はプラスの電荷を帯びますよね。一方でCH3CH2O-はマイナスの電荷を帯びています。プラスとマイナス、もちろん電気的に引き合いますね。CH3CH2O-がプラス電荷を帯びたCH3Iの炭素Cにぶち当たってO-C結合ができ、結合の腕の法則上炭素Cは安定なI-を放出するのです。

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まとめましょう。

① ヨウ素Iが結合した炭素Cは、ヨウ素Iが電子を分捕ろうとするためプラスの電荷を帯びる
② CH3CH2O-は不安定であり、共有結合したがっている。しかもマイナスの電荷を有しているので、プラス電荷を持っている炭素C(ヨウ素Iが結合している)に引き寄せられる
③ CH3CH2O-がプラス電荷を帯びた炭素Cにぶち当たって無理やり共有結合を形成する。炭素の腕の数の法則上、余分になったI-(安定なアニオン)を放出する。

 こうしてイオン状態が嫌いな酸素は共有結合を形成して安定化し、ヨウ素はイオン状態となって安定化します。このように系全体で安定な方向に向かおうとするのが、この反応(求核置換反応)を進める駆動力となるのです。
 ちなみになぜ求核置換反応と呼ばれるのか、というのも明確です。求核とはどういうことか? これはいわゆるVO構造です。“核”が目的語であり、「求核」=「核を求める」という意味です。核とは、核兵器などを思い浮かべるかもしれませんが、ここでは正電荷のことだと思いましょう。つまり「正電荷を求める」ということです。何が求めるかというと、もちろんCH3CH2O-ですね。そして、CH3IのIと入れ替わって(置換して)メチルCH3に結合するので、求核置換反応と呼ばれるのです。

7.結合の切れやすさって結局何!?

 さて、ここまでで求核置換反応の要点は説明が終わりました。では次に、結合の切れやすさや、結合しやすさがどのように決まるのかを見ていきましょう。まずは結合の切れやすさからです。これは重要なファクターです。
 先ほども述べたように、結合が切れやすいか否かは、結合が切れた後に安定に存在できるか否かで決まります。例えば、次のように炭素Cにメタンスルホン酸が結合している場合と、酢酸が結合している場合を比較してみましょう。波線部分で切ることを考えた場合、どちらの方が切れやすいでしょうか?

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実はメタンスルホン酸の方が切れやすいんですね。メタンスルホン酸は、硫酸と構造が似ていることもあり、強酸です。一方酢酸は、皆さんご存じの通り弱酸です。強酸というのは、水素イオン(プロトン)を出しやすい酸です。プロトンを出した後のメタンスルホン酸や硫酸はどうなるでしょう? そう、アニオンになるんですね。つまり、アニオン状態が安定だからこそ、喜んで水素イオンを放出しまくるので、強酸になるのです。一方で、酢酸のような弱酸はそれほどプロトンを出そうとしません。水素イオンと共有結合している方が安定なんですね。つまりアニオン状態はそれほど安定ではないのです。

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 以上から考えてみると、

結合が切れた後にできるアニオンが強酸のアニオンであれば安定であり、結合が切れやすく、
結合が切れた後にできるアニオンが弱酸のアニオンだと不安定で、結合が切れにくいということが分かります。

以上を元に、切れやすい結合と切れにくい結合を表にまとめてみましょう(分かり易いように、それぞれの酸状態の構造と酸のおおよその強さについても書いておきます)。強酸のアニオンができる場合ほど結合が切れやすいことがお分かりいただけたでしょうか?

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 ちなみに、この反応で切れる部分のことを“脱離基”と呼びます。
 さて、ここまで切れやすい結合を説明してきましたが、お気づきになられましたでしょうか? 実は、炭素C-炭素C結合が切れている例は無いんですね。そう、実は炭素-炭素結合は非常に安定なのです。よほどのことが無い限り炭素-炭素結合が切れることはありません。これは有機化学にとっては都合がいいのです。有機化学の重要な使命の一つが炭素-炭素結合を作ることなのです。炭素-炭素結合を作るのは難しい技術ではありますが、一度できてしまえば安定するのです。
一方で、炭素と炭素以外の結合は切れやすいというのもよく分かっていただけたと思います。有機化学でどこかの結合を切りたい、あるいはどこの結合が切れやすいから気を付けなければならないだろう? ということを考えるときは、炭素と炭素以外の元素との結合に注目すればいいのです。

8.結合しやすさって結局何なの?

 さて、結合の切れやすさはすでに説明しましたが、では結合しやすさって何なんでしょう?
 勘のいい人はすでに気づいているかもしれませんが、アニオン状態が不安定なもの、つまり上記の説明で行くなら「弱酸のアニオンであるほど結合しやすい」ことになります。(ちなみにこの、結合する部分のことを求核剤といいます)これも代表的な表にまとめてみましょう。

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アニオン状態の求核剤にプロトンをくっつけた化合物を見てみましょう。どれも弱酸か、そもそも酸とすら思えない物ばかりではないでしょうか? そう、このような化合物からプロトンを無理やり分捕ったものが、求核剤になるのです。
ちなみにプロトンをどうやって分捕るのか? ということですが、これにはより強くプロトンを欲している化合物を作用させるという方法しかありません。例えばナトリウムエトキシドCH3CH2O-を作りたければ、エタノールCH3CH2OHに対し、CH3CH2O-以上にプロトンを欲しがる化合物(例えばブチルリチウムCH3CH2CH2CH2-Li+)を作用させます。すると、

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こんな風にCH3CH2O-ができるのです。

9.結局どういうことなのか?

 以上を考えると、求核置換反応とは、

  不安定なアニオンが、正電荷を持つ炭素上から安定なアニオンを追い出して結合する

 という機構に集約されます。複雑に思えた反応も、よく考えてみると簡単でしょう?
 さて、ここで考え方をちょっと変えてみましょう。ヨウ化メチルCH3Iの結合電子は、ヨウ素I側に引っ張られており、炭素Cはプラスに帯電していると説明しましたが、いっそCH3+とI-のように考えてしまってはどうでしょうか?

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こんな感じで。もちろんこのような結合は実際の結合状態からは程遠いのですが、このように考えると、有機反応をより単純化できるのです。今考えているCH3CH2O-Na+とCH3Iとの求核置換反応を、このイオン的考え方で書き直してみましょう。

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どうでしょう? これだとまだ分かりにくいでしょうから、硝酸銀AgNO3と塩化ナトリウムNaClとの反応を考えてみましょうか。銀イオンがハロゲンと沈澱を作るのは非常に有名な話。その反応はどうなるでしょうか?

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こうなります。これは、銀イオンとナトリウムイオンがそれぞれの相棒(アニオン)を交換したと考えることができます。こういう相棒を交換する反応を“複分解”といいます。これを見てから再度、先ほどのイオン反応を見てみましょう。

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どうでしょう? メチルカチオンCH3+とナトリウムイオンNa+が、それぞれの相棒であるI-とCH3CH2O-を交換した“複分解”と見ることもできますよね? そう、有機反応といえど、単純化すればただのイオン反応に過ぎないのです。

10.逆合成への応用

 最後に、上記のイオン反応の考え方の応用例を紹介して終わりにしましょう。実際の有機合成では、まず目的化合物があり、どのような原料と反応を用いればその化合物を合成できるのかを考えることがほとんどです。目的化合物の構造から合成法を考えるというのは、なかなかに骨の折れる作業で職人技でもあるのですが、上記の“イオン”の考え方を使えば、極めてシステマチックに合成法を導くことができます(これを逆合成解析と言います)
 例えば、図のようなメチルチオフェノールはどのように合成すればいいでしょうか? 

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まず、S-C結合をイオン的に切断することを真っ先に思いつくでしょう。問題は、どちらをプラスにしてどちらをマイナスにするかです。S+,C-はどうでしょうか? C-は考えられますが、S+は微妙です。なんといっても、硫黄Sは電子を欲しがる原子です。おそらく不安定過ぎて作れないでしょう。ではS-,C+はどうでしょう? これはうまくいきそうです。

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より具体的に考えてみましょう。S-は、この場合チオフェノールアニオン(チオフェノラート)です。しかしこれはあくまで仮想的な試薬です。現実的な試薬はどうやって導き出せばいいでしょう? 簡単です。適当なカウンターカチオン(相棒となるカチオン)を選んでくっつけるだけです。例えばNa+やK+、Li+などがいいでしょう。これらは共有結合が下手くそで、イオン結合しか能がない金属イオンと先ほど説明しました。そのため、アニオンS-の邪魔にはなりません(H+は共有結合もできますので、この場合不適です)。
 では一方のC+(CH3+)は? これも簡単です。相棒のカウンターアニオンを選んでくっつければいいのです。ただし、こちらも先ほど説明した通り、炭素との結合が切れやすいアニオンを選ばなければなりません。例えば、I-やBr-、あるいは硫酸イオンSO42-などもいいでしょうか。これらをくっつけた現実的な反応試薬は、それぞれヨウ化メチル、臭化メチル、硫酸ジメチルとなります。これらはいずれも試薬会社で安価に購入することができるのです。
 以上をまとめると以下のようになります。

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 このように、実際に即していない仮想的な考え方である“イオン反応”機構も、きちんと使えば合成ルートの構築に使えるのです。

11.まとめ

 さて、こうやって見てみると、複雑に思えた有機化学反応も案外単純なものだと分かったのではないでしょうか? 他の有機反応(注:電子環状反応は除く)も、機構が多少違う部分はあるものの、上記のようなプラスとマイナスの電荷の引き合いや、切れやすい結合、繋がりやすい結合の概念でほぼ説明がついてしまいます。ね、結構簡単でしょ?
 有機化学反応を理解してから世の中の化合物を眺めてみると、新しいことに気づくこともあるかもしれません。世界がよりクリアに見えるようになるでしょう。

 こんな感じで、次回も他の有機反応を取り上げて解説していこうと思います。

 それでは、Adios,amici!
Hazacula.

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