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気をつけろ、夏前になるとこういう難解なポエマー出現しがちやから

「運命」ということばの由来は知らないが、命が運ばれる、もしくは命を運ぶとも捉えられる。

一人ひとりのそれぞれの願いだったり、祈りだったり、思いが、目に見えない深いところで交わった時に、人は出逢う仕組みになってるんじゃないか?と思えてきた。

同じ時じゃなくて、交わる時。

ダメ人間レッテルを貼られて、自分を責めてた時、ある人の「君はおもしろい」の一言で目の前がきらめいて、救われた。

あの時の私は、だれかに「君はダメじゃない」って言って欲しかったんだろうな〜って、今になって思う。

だから混じり気のない純粋な「おもしろい」のシンプルなたった一言で立ち直れた。

逆に、その一言をくれた人にも、その人を大切に想う人たちが「その人が幸せであってほしい」と願っていたんだろうなと思う。

幸せになりたい
幸せであってほしい
幸せ

いろんな段階、いろんな状況で出逢うけど、将来、支え合えるような関係性になったりする。

交わることで互いが幸せになる。
磨かれる。

だから、運命ということばをあえてよくない方向で使わなくていいんじゃないかと思う。

「そういう運命だった……変えられないんだ」
なんて辛気臭くなってもチョコモナカジャンボをもらうことは出来ません。

いい方向に命を運ぶには、心地いい方を選ぼうという意識を持ってみたらいいんじゃないだろうか。

選んで、心地悪かったら、また方向転換。
ただ、それを繰り返す。

楽しく、ふざけて生きたいです

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