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「ありのまま」っていいの?

今日のめぐろ哲学カフェのテーマは「ありのままにはどれだけの価値があるのか?」だった。

「ありのまま」って私の好きなフレーズで、どんなに偉そうな人でも、どんなに硬そうな人でも、どんなに恐いそうな人でも、どんなにつまんなさそうな人でもふと見せる素の顔が好きだ。そのギャップが大きければ大きいほど魅力を感じる。

人は期待に応えたいし、ちょっと自分を大きく見せたいし、そんな時背伸びをしたり、自分を理想の自分に塗り替えて演じてみたりする。でも所詮「ありのまま」は「ありのまま」なので、すぐ化けの皮がはがれ、結局どう頑張ってもありのままの自分をさらけ出すことになる。

ならば「ありのまま」の自分で最初からいた方が楽だし、周りにも緊張感を与えないと自分は思うので、感じた事をすぐ言葉に出したり、力をぬいてしゃべったりする。しかし、時々それが人をイラっとさせることがあるらしい。やっぱり「ありのまま」ではいけないこともあるらしい。

このnoteも読み手のことを考えて書くのと、「ありのまま」の書きたいことを書くのでは読み手が感じることは全然違ってくる。そう考えていくと「ありのまま」は自己中だと思えてくる。

ただ書き手にとっては「ありのまま」の書きたいことを書いた方が気持ちがいいし、筆も進む。読み手のことを意識しすぎると筆が止まる。でもだからと言って「ありのまま」の書きたいことだけ書いていいのか?

なぜ書くのか?それは伝えたいことがあるから。ならばそこが伝わるように書かないと読み手に失礼である。

今回伝えたかったことは「ありのまま」を受け止めることはとても大切なことであるが、発信するときは「ありのまま」を大切にしながらも時には「ありのまま」を手放すことも必要だと思ったということ。

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