見出し画像

そこで耳、塞いでるお前。お前に言ってるんだよ:Socio Changers #1

「汚染水を、流すなー」
 発電所(プラント)を望む、太平洋の海岸。生命(いのち)を守るために駆けつけた人々が、怒りの声を振り絞っていた。
 2023年。日本政府は、爆発事故を起こした原発の廃炉に必要だと強弁して、核汚染水——彼らは“処理水”と呼ぶことにこだわった——の海洋放出を強行した。
《“合理的に達成できる範囲で低く”——それが、国際的な放出“基準”の考え方です》マイクを握った大学生は叫んだ。《あいつら自身が、“無害だ”なんて一言も言ってない。むしろ、“害があっても受け入れろ”と言っている。原子力マフィアによる、原子力マフィアのための“基準”にすぎないんですよ》
《こんなものを海に流す。そのこと自体が、全世界に対する核攻撃じゃないですか》別の青年がマイクを引き継いだ。《これが、日本という国の正体です。われわれ日本の人民には、けじめをつける責任がある》
「核戦争を、止めるぞー」人々はシュプレヒコールを上げた。「勝利するまで、闘うぞー」


 時は流れ、20XX年。
「すみません。変異されてる方のご乗車は、お断りしてまして」
 炎天下のバス停で運転手に告げられたのは、季節外れの外套に身を包み、帽子を深く被った青年だ。
「なぜ“変異”だと?」青年は問いただした。
「でしたら、その帽子を脱いでいただけますか」
 青年は黙って乗降口を離れた。

 東日本の太平洋沿いを中心に、人体の“変異”が相次いで生じていた。
 体表に異様な突起や皹(ひび)が現れるので、“変異”していれば一目で判る。検査を受けてみると癌などの病気も見つかるケースが多いが、変異の原因や病気との関係はどの症例でも“不明”だ。

 赤信号の前で立ち止まった青年の横に、一台のタクシーが停まった。
——個性だいじに 手をつなごう 東都電力——
「“魚を食べよう”の次はこれか」車体にプリントされた広告を一瞥して、青年は呟いた。
 顔の汗を拭いながら、青年は自らの身体(からだ)に“変異”が発現したときのことを思い出していた。当時まだ10歳にも満たなかった青年は、病院に連れられて手術を受けたものの、“変異”はまったく消えていなかった。医者には“手術は成功した”と確かに告げられたのだが、何の手術だったのかは分からないままだ。
 やがて、青年は赤い門の前にたどり着いた。
《生体認証が必要です》
青年は舌打ちをして、センサーに指紋を読み込ませた。
《本学学生の認証が完了しました》
門は自動で開き、青年は不機嫌な表情(かお)のまま門をくぐった。

《火元(ひのもと)内閣総理大臣》
 大学構内の狭い部室(ボックス)で、2人の若者がテレビを見ていた。
《いわゆる“変異体”の方々への偏見、差別につきましては、わたくしも憂慮しております》
「何が“憂慮”だ」学生の一人が糾弾した。「それもこれも、政府が撒いた種だろうが」
《はっきり申し上げたいのは、原発処理水、これは厳正な検査によって安全であると……》
「“処理水は安全”とか言ってた奴らに限って、“変異体から放射能がうつる”なんて噂は簡単に信じるんだよ」もう一人の学生が指摘した。
《その放出に対する反対運動、これこそがそうした方々への偏見を……》
「何だ、あの言いぐさは」2人の学生は思わず怒鳴った。「俺たちは被害を告発してるんだぞ。政府や東都電力が、一度でも償ってくれたか?」
「あ、コバルトから」学生の一人が、スマートフォンを手に取って電話に出た。「もしもし……何。守衛が?」
《そうなんだよ。構内にも入れてくれなくて》
「今までは、学生証を見せれば入れただろう」電話をスピーカーに切り替えて、学生は応じた。
《当局に叱られたんだって。“正規の方法で入れない奴を、守衛の独断で入れるなんてありえない”って》
「独断も何もないけどな……埒が明かないようなら、今日はビリジアンと一緒に門前ビラを頼む。今後のことは、情宣後に相談しよう」
「そもそも、指紋の再登録に時間がかかりすぎなんだよな」もう一人の学生が指摘した。「当局のことだから、わざと手続き止めてるんじゃないか」
「俺たちの反核情宣が、それだけ当局にとって不都合だってことだろう」
「正直、このままじゃジリ貧だな」
「いや、新たな弾圧は必ず新たな決起を生む」学生は仲間を鼓舞した。「お前が同盟(ここ)にいるのも、ビリジアンの退学処分が許せなかったからだろう」
「そうだったな」もう一人の学生は肯(うなず)いた。「じゃあ、今日も行きますか。あの冷ややかな学園(キャンパス)の空気を変えに」

《本大(ほんだい)生の皆さん。今こそ、立ち上がりましょう》
 拡声器の音が響き渡る、大学の広場。青年はベンチに腰を下ろし、帽子と外套を脱いだ。
《この本郷大学が、原子力ムラの片棒を担いでいる》学生はマイクを片手に訴えた。《私たち本大生が、こんなことを許すわけにはいきません》
「許しちゃいないさ」青年は呟いて、耳を塞いだ。「許せないからこそ、今は忘れてたいんだよ」
《そこで耳、塞いでるお前。お前に言ってるんだよ》
 突然、マイクを持った学生は青年を指弾した。
「おい、よせよ」近くでビラを配っていた仲間が諫めたが、学生は聞かなかった。
《変異体(おれたち)を踏みにじってるその足をどけろと》
「何だと」
 青年は目を見開いて立ち上がった。

「いや、拡声器(トラメガ)であれはないわ」
 大学の門前でビラを配っている女子学生がこぼした。通りがかる学生や教職員にビラを手渡すその右腕は、機械で動く義手だった。
「間違ったことは言ってないんだけどさ」
「あれ、マゼンタだよね」ビラを配っていたもう一人の学生——学籍は不当に奪われている——が、義手の学生に耳打ちした。「シアンが止めてくれるといいんだけど」
「ああいう時のマゼンタは、誰が止めても聞かないからな」義手の学生は頭を抱えた。「あと、シアンも部室ではああいう愚痴を言うタイプだし。裏表がないのは、マゼンタのいいところなんだけどね」

「もう一度、言ってみろ」
 青年はマイクを持った学生に詰め寄った。
「誰が、誰を踏みにじってるって?」
「あ、あんたは」青年の変異した額を目の当たりにして、学生は動揺をあらわにした。詰め寄られるまでは、気づかなかったのだ。
 青年の顔はますます強面になり、やがて人間離れした怪物の形相になっていった。青年は学生の首根っこを掴み、筋肉が肥大化してシャツの破れた腕で学生を頭上に持ち上げた。

「マゼンタ!」
「何だ、あれは」
 門前にいた2人の学生は、思わず守衛の詰所に駆け込んだ。
「おい。門を開けろ」
「生体認証は?」守衛は愛想悪く問いただした。
「言ってる場合か。学生の命が危ないんだぞ」
「何。あの化けもんを、あんたらでどうにかしようっての」
「こうするんだよ」
 2人は詰所を出て門の前に立つと、シャツの裾に隠していたデバイスをあらわにした。一眼カメラに似たそのデバイスは、ベルトで下腹部に固定されていた。
《Power On》2人が回転式の電源スイッチを操作すると、それぞれのデバイスはレンズから光を発し、空中に青無地の映像が浮かび上がった。2人は腰のホルダーからメモリスティックを取り出し、スライド式の端子を出してデバイスに差し込んだ。
《Loading》メモリスティックは内蔵のLEDランプを高速で点滅させ、やがて青無地の映像の中にヘルメットと胸当て、棍棒からなる装備品が現れた。
「前進!」
 2人はデバイスのボタンを押し、映像に向かって駆け出した。

 広場でビラを配っていた学生は、仲間が締め上げられる光景に腰を抜かしていた。
「これは、まるで……妖怪だ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?