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Inscryption ネタバレ有り感想&考察 ゲーマーたちの出会いと別れの物語

Inscryption。個人的には、ゲーム友達を得てから失うまでを追体験するゲームでした。

このゲームには大きな陰謀や、ある種の現実のような残酷さが含まれているけれども、そこは本題ではないように思えました。

(もはやSNSと化している昨今のゲーム事情とは合いませんが)昔のゲーマーにとって、リアルとゲームには不可侵の境界がありました。多くのプレイヤーと友達になり一緒にゲームを楽しむけれど、しかしゲーム以外の境界――リアルにまでは踏みこまない、という。

(話はそれますが、もちろん、昔でもリアル含めた友達関係を構築している人もいたでしょう。また、リアルを含まない関係だから劣っているというつもりもありません。リアルを含まないからこそすてきな関係であるという一面は強くありました。)

遊んだ時間はとても楽しく、すてきです。さらに時にはいざこざを起こし、仲直りのようなことまでします。

しかし、別れは突然に訪れます。いつものように大会に行くと、ゲーム友達がいない。今日は休みかと思って次の週を待っても、やはりいない。ゲームとは関係ないリアルの事情で、突然に関係が切れてしまう。僕らがINSCRYPTIONの謎を解明できないのと同じように、友達のリアルに何が起きたのか知ることはありません。

たいていのゲーム友達との最後の記憶は、対戦のお礼を言いあって席をたつ姿になります。INSCRYPTIONの別れと同じです。最後の試合は、世界の命運を何も左右しない、しかしやっているプレイヤーたちには確かな楽しさをもたらしている、ただいつものようなカードゲームです。

あとから思い出すと、楽しい(あるいは…)ゲームだったという思いと、もっと続けたかったという思いで、嬉しかったような悲しいような気持ちになります

INSCRYPTIONが部屋の外へとつながるゲームであるのは、ゲームをプレイした僕らにそういった別れを経験させないため、ゲームの外でも友達になるきっかけを与えようとしているのかもしれません。(個人的には、ゲーム内で完結する関係性も、とてもすてきなものだと思いますが)。

さらに言えば、INSCRYPTIONは、プレイヤーとゲームキャラクターが干渉しあうタイプのメタフィクションではありません。プレイヤーとはまったく関係のない過去の記録です。これはゲームとして遊べるように再編されたラッキー・カーダーたちの出会いと別れの記録であり、すでに終わったことです。だからプレイヤー(僕たち)は結末を変えられないし、見ると死ぬオールドデータを見ても日常に戻ることができます。カードゲーム部分をプレイヤーが好き勝手にできるのは、これが過去に起きた出来事を感情ベースで追体験するものだからでしょう。

(事実、物語でゲームキャラクターたちが見てコメントしたり、サルベージしてくるのはラッキー・カーダーの日記です。僕らのパソコンを参照したはずなのに。)

僕たちは物語のどこにもいない。多くのプレイヤーにとって、この事実が一番もやっとしたところでしょう。僕たちは持てる力のすべてをもって世界を救おうとしましたが、実は誰かの過去を見ていたにすぎなかったのです。)

つまり、僕たちがプレイしているのは、作中に登場するオリジナルのゲーム版INSCRYPTION……ではなくオリジナルINSCRYPTIONの実況動画をゲーム風に再編したものなのでしょう。

(PO3だけは破滅から逃れたのではないかと個人的には思っています。『あの』僕らの愛すべきPO3がこの物語をしたためてくれたのだと思うと、なんだかすてきではありませんか?

オールドデータこと悪魔そのものは、政府などしかるべき機関に回収されたのでしょう。作者さんの他作品に登場しているのかもしれませんが。)


INSCRYPTIONのカードゲームプレイヤー達は、ゲームを通して人生を楽しんだように思います。リアルの残酷な面に襲われはしましたが、ゲームが楽しかったことが勝利なのだと僕は思いたいです。


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