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瞑想中に感じる不思議なこと

スティーブ・ジョブズやらビル・ゲイツやら一流の経営者も実践しているとか科学的にも効果が証明されているとかいう話を聞いてからちょくちょく「瞑想」をしたりしています。

元々全く興味はなかったんですが、私は一見自分が興味がない、自分の価値観と合わないようなところにこそ成長のヒントがあるのではないか?と常々思っているので試しにやってみたところ、それなりに効果を感じられたので毎日ではないですがちょこちょこ続けています。

何冊か瞑想に関する本を読んだりやり方を解説している動画やブログなどを見たりもしましたが、あんまり細かいやり方まで意識すると面倒くさくなって続かなくなるのが目に見えていたので、基本的には私のやり方は「目を閉じて自分の呼吸に集中する」というルールだけです。

「それなりに効果を感じられたので」と書きましたが、これは瞑想の効果を否定しているわけではなくて自分がまだ下手だからだと思います。
時々すごくうまくいって(?)、表現が難しいですがすごく深く潜れたような感覚になる時もあり、これが毎回できればもっと効果が上がるのだろうなと考えています。


そんな瞑想ですが、毎回瞑想していると不思議に感じることがありまして。

瞑想中は基本的には呼吸に集中して他のことは考えないようにしているわけです。

しかし瞑想していると仕事のことなど、自然といろいろなことが頭の中に思い浮かんできます。

自分の「意思」としては「呼吸に集中する」と決めてるわけですが、しかし自分の意思に反して仕事のことなどを考えてしまう。

ということは瞑想中に仕事のことを考えているのは明らかに「自分の意思」ではないわけです。

これってよく考えると不思議じゃないですかね?

「自分の意思で考えているのでなければ、今浮かんでいるこの思考はどこからもたらされたものなのだろう?」という気持ちになります。
おそらく自分の意思とは無関係に脳みそが勝手に色々考えているわけです。


私達の普段の「行動」の元になっているのはもちろん「思考」です。

仕事であれば「あの案件はこうしてああしてこうしよう」といろいろ思考してから、それを実際に行動に移すわけです。

普段私達はその思考を自分の意思で行っていると考えていますが、瞑想をしていると、実際はそうではなく自分の意思とは無関係に脳みそが勝手に考えているだけなんじゃないかと思えてきます。

自分は自分の意思で生きてきたと思いこんでましたが、実際は脳みそに操られながら生かされてきただけなのかもしれません。


話は変わりますが、昔、蟻が行列を作って餌を巣穴に持ち帰っていくのを見て「こいつら一匹一匹にも僕ら人間と同じように自分の意思だったり個性だったりというものがあるんだろうか?」と思ったことがあります。

一糸乱れぬ規則正しい行列を作って行軍する蟻の姿を見ていると、とてもそこに一匹一匹の意思などというものは感じることはできません。
むしろコンピュータープログラムの演算の結果を見ているような気持ちになります。

その後、会社員時代、毎日満員電車に揺られながら通勤していたのですが、朝蟻と同じ様に一糸乱れぬ行列で行軍をする大勢の会社員の中で、同じ様に自分も行軍しながら「あ、これ巨人が上から眺めたらあの時の蟻と同じ様に見えるんじゃなかろうか?」と感じました。

その時も人間って自分の意思で生きてるわけじゃなくて何かに操られているだけなんじゃないか?とふと思ったんですよね。

私が今会社員を辞めて独立してやっているのも、自分の意思だと思っていましたが、本当は違うのかもしれません。

脳みそなのか、それとも別のプログラム的ななにかなのかわかりませんが操られているだけなのかも。

昔パラサイト・イブというゲームや映画もありましたが、人の中のミトコンドリアとか、もしくはバイオハザードのT-ウイルス的なものに本当はすでに乗っ取られていて彼らを生かすために我々は動かされているだけなのかも。


今こうしてこの記事を書いているのも自分の意思だと思っていましたが操られて書いているだけなのかも。


そういえば昨日から背中がむれちまって妙にかゆい。


かゆ

うま

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