もう一生この量のコートに袖は通さない

母がもう一人で洋服の入れ替えができないので手伝った。
はじめてのことだ。
で、狭い部屋ながら母の衣装箱がどうなってるかなんて半分も知らなかったので、母が普段あけない箱も開けてみてびっくり。
母が縫ったコートや仕事で作った仮縫いまですませた試作品の紳士もののジャケット、昔わたしにつくってくれたドレスコートのパターン試作などがぎゅっとつめこまれた箱が二箱もあるのだ。
(正確には他に反物状態のスーツ生地もあるし、型紙だけ入った箱もある)
昭和の、肩パットが薄い頃の紳士物のコート、いいウールで保存もよく、裏地もちゃんとあるチェスターコートとか、今年のオーバーサイズで着る感じならいけそう、とワクワクしたものの、わたし個人としてもコートをそれなりに持っていることを思い出す。

毎年着ているのは、①②高校のときに買ってもらったグローバーオールのダッフル、そして後年仕事を一緒にした音楽家の方から頂いた別のグローバーオールのダッフル、③出張先の伊勢丹で寒くて買った黒いウールのステンカラーコート、④裏地がディズニーのバンビちゃんのローウエスト気味の厚手コットンのステンカラーコート、⑤母が昔つくってくれた黒いマントコート(昔はドレス丈だったけど今は膝丈)、⑥ステンカラーでドレス丈の黒のカシミアコート。
⑦母が学生の頃に縫ったウールモッサマルチカラーの着物コート(これは今年の流れでドンピシャ洋服あわせに似合うはず)。⑧祖父のトンビ(グレーのウールシルクでとてもいい生地)⑨母のバーバリーのトレンチをお直ししたもの(ちょっと袖が短い)。
数えるんじゃなかった。ちょっとあるどころじゃない。
この他に雨用のコートが街用ともうちょいアウトドアぽいのが2着、襟なしのシャカっとした生地のオーバーサイズコートが1着、あとコートがわりにしてる前開きのワンピースもある。

他にも、数年全然きてないコートが何着かあるし、冠婚葬祭用のシルクのワンピースコートもある(着れる気もしないけど母がぬってくれたから捨てられない)。

母だってコートを何着ももっている。近年重たいからってずっとユニクロさんのダウンだけれど。

うちは狭いマンション住まいだ。それなのになにこのコートの量。
ここにきてまた二箱もコートっぽいものがつまった箱がでてくるのか…
もう一生この量のコートに袖は通さない。捨ててもいはずだ。
そして日常的にきてるのは、モンベルのジャンバーだよ?
コートですら普段あんまり袖を通さない。

断捨離する人もコンマリも、数年必要なかったものやときめかないものは捨てろ捨てろとしきりに勧める。
それの一番の槍玉にあがるのが服だ。
うちの片付かないのは完全にこの持ちすぎの服のせいは大きい。
その上、わたしが子供の頃から太ったり痩せたりが激しくサイズが変わるもので、同じようなアイテムをサイズ違いで持ってるのもよくない(もう痩せる気はしないので躊躇なく9号程度(標準サイズw)のものは捨てるけど)。
その上どれだけスタンダードな形のものを買おうとしても、毎年それなりの流行り廃りはあるのだ。
気にしなきゃいいだけなんだけど、それでも気になるしさ。
着道楽とまではいかないにせよ、母もわたしも十分服もちである。

捨てたらいい。そんなこと100も承知だ。
だが母がぬってくれたものや、祖父の家からもってもどったものは捨て難く、どうしようもないのだ。思い出がつまっているから。
謝罪にいくのに急遽京都を訪れ寒さで買ったコートも、遅延をかさねた長距離列車で移動中タイの田舎で夜中に降ろされた駅で、乗換便は朝にはくると告げられ不安を通り越して面白くなっちゃったときに着ていたコートも、もっというならガールスカウト時代に何冬も過ごしたコートライナーですら捨てられないのだ。

皆こういうのはどうしてるのだろう。

思い出のあかしとして、写真と生地の一部とボタンを収集するというのもみたこともあるけれど、なんかそれはそれで遺影ぽくて悲しくないかな??と思ってまだ実行していない。

いずれそうするしかなくなるのかもしれないが。

どっちにしろもうコートは要らない、と思った晩秋だった。



とかいいつつそれはそれとして、
カットがスタンダードでダブル4つボタン以上(できれば六つボタン)、メルトンの重たい生地(できれば裏地のないタイプ)で、ハンドウォーマーがちゃんとついてる(都合紳士物の)濃紺のPコートを今年もさがしているw
デザートは別腹感覚

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