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フィルム・フィルム風の話

こんにちは、今日は、今日も、思い付きによる需要の見えないお話シリーズ。テーマは「フィルム風写真」についてです。

みなさんは「#フィルム風」とタグ付けされた写真をご存知でしょうか。SNSなんかで見かける、淡い色合いだったり少し粒子が目立っていたり、ふわっとした感じ、やわらかい感じ、色転びがあったり感光していたり、といった写真ですね。皆さんはお好きですか? 僕はけっこう好きです。

そして、「フィルム風」という言葉、これが嫌いです。

当初は「フィルム風写真」についてグチグチ書き連ねていたのですが、あまりに生産的でないというかあまりにTwitter的だったので一度消し去り、なにか次につながっていくような文章を書いてみようと思います。さて。

ところでフィルム風写真、と言われて皆さんはどういった写真を思い浮かべるでしょうか。はじめに書いたような要素、たとえば淡い色合い、粒状感(いわゆるざらつき)、やわらかい感じ、というのは、大きくそれから外れないと思うのですがいかがでしょう。そして皆さんが思い浮かべる「フィルム写真」、これもきっとそれに準ずるものではないかと思います。写りすぎないのがいいよねという話も聞いたことがあります。

これは当たり前というかむしろ順番が逆で、「フィルム写真がそういった要素を持つからフィルム風写真がそうなった」という考えが妥当でしょう。和風パスタは和食がなければ成立しませんよね。
では和風パスタに含まれる和風要素、例えば醤油であったり海苔(海藻)であったりですが、これをもって和食を語ることについては皆さんいかがお考えでしょうか。和食って醤油味で海藻入ってるからいいよね! と言われたら。

この辺が私のグチグチPointで、ようはごく一部しか見ていないのにそれがすべてのような評価を下すな、ということが言いたいわけです。一度消したので長くは書きませんが、フィルム風、フィルムの要素として上にあげたものというのは極端に言えば「性能に難を抱えたレンズで期限が過ぎたか露出が足りなかったネガを無理やりプリントやスキャンのときに処理してもらった」フィルム写真においていえる要素だと思っています。きちんとした機材で粒状性のよいフィルムを使いきちんと仕上げられたそれは、精緻な描写や鮮やかな色に衝撃すら受けるはずです。塩と出汁の繊細さ、味噌の力強い旨味が和食にあるように。(※個人の感想です)

繰り返しですが私は上にあげられた要素を持った写真が嫌いではありません。被写体の良さやその人の感性にあった表現というのは多様なものがあり、その手段としてああいった仕上げというのは面白くむしろ好きだと思っています。色の調整だとか露出の切りつめ、粒状感による質感の描写など、個性の出るところもたくさんあります。


しかし、それを「フィルム風」としてしまうのはいささか乱暴ではないかということ、また、勿体なくないか、ということを書いておきたい。じゃあどう呼べと言われると難しいんですが、少なくともフィルムがあれだとするような呼称はやめるべきだ。実際にフィルムを使ったことのない初心者が言ってるならともかく、実際に使った経験があるのであればただ撮ったフィルムがああならないことはわかるはずで、そう仕上げたのはあなただ。自信をもって自分の仕上げとして発表すればよく、そこに「フィルム風」なんていう言葉はいらないはずなんだと、強くとても強く思う。

以上、オタク心むき出しで書いた文章でした。結局次にはつながらない文章だけれど、編集していくうえでなにを目指すのかを考えるきっかけとかになったり…しないか、しないな。まぁこういう考えの人間も世の中にはいるということでここはひとつ。あとはあれだ、EKTARとACROSSはなめらかだしPROVIAは驚きの精緻さと色のコクでクールなリアル路線ならEKTACHOROMEも出た。こんな時代にフィルムはまだいくつもあって、それぞれが高い技術によっていろんな描写を見せてくれている。もちろんLomographyの各フィルムやSUPERIA(あるいは業務用400)なんかのように上で述べられた要素を出しやすいフィルムもある。それが過去の失敗写真だとかそんなものから付けられたイメージだけで固められていくのはとても残念で、どうか色んな人がこの魅力に気づいてくれたらと思っています。

こちらからは、以上です。

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