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こどもが会社にいけなくなりました。そのときわたしがはじめて気づいたこと

会社をやめる。むすめにとってそれは高い崖からとびおりるようなことでした。つらくても限界までやめることができませんでした。どこまでが甘え?やめたら社会で生きていけなくなる??やめる一歩。どこでラインをひいたらいいのでしょう。。

40代くらいからうえ世代の根性論~こどもとの感覚のズレ

わたしは社会でつよく生きていけるタイプではありません。それでも40代。ヘンな根性みたいなのがあります。しごとは休んじゃいけない。しごとはさいごまでやらないと辞められない。。

むすめたちは見ていないようで、そんなわたしのすがたをじっと見ていました。

わたしがつらそうに、くるしそうにしながらも、しごとを続けるすがたをじっとじっと見ていました。

むすめたちは社会人になったとき、お母さんのようにがんばらないといけないと思いました。

がんばればがんばるほど、自分のきもちがついていかなくなって、そのギャップにくるしみました。

気がつくとがんばっているお母さんもとてもくるしそうです。

こどもは親の期待にこたえようとしている。親のがっかりした表情に傷ついている

むすめが会社にいけなくなったとき、泣きながらわたしにこう言いました。

「会社も行けん子いやじゃない?」

「学校もいかせてもらったのに」

「しごともちゃんとできん子いやじゃない?」

そのときようやく気がつきました。

『こうあるべきすがた』わたしは無意識にむすめにおしつけていたのです。

わたしはむすめに言いました。

「ゆぅちゃんはなんにもしなくてもゆぅちゃんよ。」

「ゆぅちゃんがしあわせそうなのがいちばんうれしいんよ。」

そのことばはむすめのこころにとどいていません。

むすめはずっとわたしからの無言のプレッシャーをかんじているのです。わたしの期待にこたえられていないと、ずっと自分をせめているのです。わたしのちょっとしたしぐさや表情にずっと傷ついているのです。

わたしはじぶんが『毒親』なんだと気がつきました。

できるできないのライン

こどものだしている『たすけて』の信号。わたしは気づけませんでした。

もっとはやく「会社をやめてもだいじょうぶだよ。」と伝えていれば、これほどむすめが苦しむことはなかったかもしれません。しごとをやめて5ヶ月以上たちますが、ネットで求人情報をみるのもこわいと言います。

お姉ちゃんをみていた下のむすめは、自分の異変に気づき、すぐにしごとをやめました。

1ヶ月ほど休むと「あれもしたい」「これもしたい」といろんなことをはじめました。バイトもできるようになりました。

できるできない。続ける続けない。その境界線はどこにあるのでしょう?

ふたりのむすめを見ていて

「いつもとちがう落ち着きのなさ」「がんばろうがんばろうというピリピリ感」「休みの日が楽しくない」「しごとにいこうとすると涙がでる」「食欲がなくなる」「眠れなくなる」

この順につらくなっていったように思います。

さいごのほうの状態が1週間以上続くとすごくおかしいです。

しごとがすべてじゃない

でも

しごとをやめるがすべてじゃない

ほんとうのしあわせはなんなのか

親も、本人も、かぞくも、みんなみんなでかんがえる時期にきていると思います。

きっときっと もっともっと

しあわせになると信じて

今あるしあわせをじーっとかんじていきたいと思います✽.。.:*・゚ ✽.。.:*・゚







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