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それは、宝物。

こうしてあの日の事件に向き合おうとすると、途端に言葉が出てこなくなってしまう。

悲しみも怒りも、恐怖も、その形容と言葉、感情すら超えて私の中から溢れてくのに、心の中は空っぽのような。それでいて何かが詰まったように苦しかったりもする。

「三年目の追悼式」で紹介されたご家族の方や、関係者、スタッフさんたちのお言葉を拝見して、悲しみはいつまで経っても尽きることがないことを、今日改めて痛感しました。涙が止まるまで、時間がかかってしまった。

あの日奪われたのは、日常。誇り。未来。夢。それら全てと、それ以外の全て。

それでも京都アニメーションは、アニメーションの持つ力で「日常」や「夢」を描き続けてくれている。その事実に、どれほど励まされているか。京都アニメーションの作品が、大好きだって心から思う。

風に戦ぐ髪や、感情の揺れを感じさせる指先や足元。
好奇心に満ちた瞳の輝き。
画面の端で見切れそうな飛行機雲の軌跡。
舞い落ちる鳥の羽や、舞い上がる桜の花弁。
水飛沫や、落ち葉ひとつとっても、京都アニメーションの描き方は繊細で、丁寧で、神がかっていて、私の一番好きを更新していく。

「大丈夫」とか「がんばれ」とか「諦めるな」とか直接的な言葉を端的に受け取るわけではないけれど、京都アニメーションの作品を観て、その世界の全てを通して感じるのは、激励の言葉を受け取ったとき、負けてたまるかと心が奮い立つときの感覚だったりする。

だから、私は今生きてる。生きていける。

今日、私はただただそれを実感した。

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