「LIGHT HOUSE」を見終わった
人の気持ちってわかるような気がしても結局わからないよねっていう星野源の言葉で、大好きな「くせのうた」の歌詞を思い出した。
人付き合いが上手くなかったという星野源だけど、だからといって(だからこそ?)人に興味がないタイプじゃない。雑に他人を理解した気になれる人間にはこんな歌詞は書けない。
星野源のトーク番組を見ていると、やっぱりあの曲やこの歌詞を書いた人だなと思う場面が所々にある。
「くせのうた」はこう続く。
でも人は皆違うからといって、何ひとつ重ならない訳じゃない。そういうことを彼は色々な曲で繰り返し歌っているように思う。
その上で「暗い話を聞きたいが 笑って聞いていいのかな」と心配しながら、「君のくせは何ですか」と聞く。知りたいから。謎を解きたいから。
これって愛だな、と思う。他人を理解するのは簡単なことじゃないとわかっていて、相手を尊重したいから慎重にもなるけど、それでも理解したい、近づきたいという愛。
星野源を取り巻く環境はこの歌詞を書いた時からだいぶ変わったはずだけど、こういう姿勢はたぶんずっと変わらないんだろうな。みんな「わかるー」って言うけど、ほんとにわかってんのかな、て考えるとこ。
少し脱線するけど「くせのうた」は普遍的なことを歌っているようで、限りなくラブソングだ。
この歌詞みたいな姿勢でいたくても、実際は感情に流されたりレッテルを貼ってしまうこともある。話をしたいな、と思いながら恋人との距離をうまく測れなかったり、うまく聞けなかったり、うまく話せなかったりもする。
でもお互いに理解できない部分を、特に好きな人には、あー理解できないわ無理だわ孤独だわ、って投げ出したくないし投げ出してほしくない。簡単にわかったふりもすべきじゃない。
「わかったふり」は楽だし0にはできないし、時間が経つほど「わかってないかも」という注意深さは消えていく。
でも大事なことは面倒くさいし、難しいものを難しいままに理解しようとすることが誠実さなんだよね。いつも忘れそうになるけど。
一個前のnoteではディスってるけど(そして撤回はしないけど)、若林が「若い人の悩みがわからなくて寂しかった」と素直に言うところや、「テレビは何でも短くわかりやすくしたがるけど、説明が難しいことは時間をとって話すべき」的な話は良かったなと思う。
娘にはパパ活する港区女子になってほしくないからクリスマスツリーは小さいのにするとか何とか、相変わらずずれてるとこはずれてたけど。
「人を傷つけずに面白いことをする」ということも、もう別に普通な気がするけど、テレビの世界ではまだ画期的と言えるんだろうし、だから若林みたいな中堅がいることは大事なんだろうな。
全体的には星野源の話が色々聞けたから面白かったし、LIGHT HOUSEの新曲もどれも良かった。「仕方なく踊る」の「100年後も意外、生きてるんだ」の歌詞を聞いて、100年後も彼の歌が生きてたらいいなと思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?