日本人の創作
noteに、「なぜ、書くのか」という内容のエッセイを投稿したところ、予想以上に、たくさんのスキをいただいている。「書きたいから、書くんで良いんじゃないの。売れたり、支持されなくても良いんじゃないの。」という内容だったのだが、そういう創作に対する、シンプルな思いに共感する人が、かなりいるということだと思う。
私も、時間があれば、スキを押してくれた方のページを見に行って作品を確認している。中には、一挙にスキを押してる人もいて、「読まずに押してる?」と思う場合もあったりするのだが、総じて、投稿のクォリティーが高くて、感心している。やはり、日本に住む日本人は、創作という意味で、質が高い。ただ、作るのが好き、書くのが好きな人が一定数いて、それだけの喜びで、ここまでのことができる集団なのである。
私が、「日本人」ではなく「日本に住む日本人」というのは、私がニューヨーク在住で、日本人を含む、色々な国籍のクリエイティブな人たちに会ったりするからだ。良い悪いではなく、こちらでは、アーティストやライターは、認められるにはどうしたら良いか、作品でお金を稼ぐには何ができるか、そして競争が初期モードであることが多い。上を見ての、創作活動でない人は、非常に稀に思える。そういう環境に嫌気がさして、他の職業について、創作をやめてしまう人もいる。
アーティストになろうという人たちは、純粋に「創作が好き」なのだがニューヨークにいると、上向きモードになってしまうのは、認められれば、お金になり、キャリア(やブランド)としてやっていける環境だからかもしれない。
日本はどうかというと、給与が低いと言われているが、アーティストもこれを反映して、作品の価格なども、欧米より安いのは間違いない。いわば、創作者が優遇されにくい環境ということなのだ。けれど、noteなど見ていると、日本には、お金のためではない創作を続ける土壌が残っているよう見える。
思うに、経済的なインセンティブがない、優遇されないという環境は、アーティストにとって、悪いことばかりではないのかもしれない。お金にならないところで、創作を続ける人は、本当に好きな人であったりする。好きな人が、続けていれば、良いものが出来ていく。認められてなくても、誰も作っていることさえ知らなくても、作品の質とは何の関係もない。
知られた例でいえば、セザンヌや、ゴッホも、生きてる間は、認められることはなかったし、ゴッホに至っては、生涯で売れた絵は1枚か2枚だったはずだ。そんな彼らの作品も、売れっ子だったら、全然違うタイプのものになったかもしれない。認められない中、悔しがりながら、描いてたから出来たこともあったかもしれない。
「役にも立たないものを作ってます」と言いつつ、実に素敵なものを作っている人たちの存在を知ると、私も、刺激されて、「やるべー」「もっと、創りたい」と思う。感謝である。
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