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10年ぶりの日本

9月の初旬から、日本に一時帰国している。実は、10年ぶり。5年位しか経ってないつもりでいたけれど、帰国の少し前にパスポートを見たら最後に日本に来たのは、震災の次の年2012年であった。

10年ぶりの日本はどうかと言うと、思ったより変わっていなかった。これは、私が京都に滞在しているせいかもしれない。他の場所のことは、わからないけれど、京都市内では、まさかと思うほど、古いお店が昔のままに残っている。これは、老舗と言われるところだけでなく、子供の頃、通学途中に毎日見ていた美容院なども、そのまま残っていたりする。40年も前の話なので、経営者が同じと言うことは、考えにくい。もちろん、新しいビルなども立っているのだろうが、街自体は、それほど変わったように見えない。

大阪にも行ったけれど、大阪は変化が大きい。御堂筋の北側を歩いてると、かなり記憶と違う。ただ、京都でも、大阪でも、みんな、マスクをしているのは、全く、新しい風景。

それほど、街に変化はなくても、帰国して数週間は、久しぶりの日本に、なかなか馴染めなかった。なんと言って良いのか、1ヶ月経って、やっと、体が、日本の水や空気に慣れてきたと感じた。

漢方のお店に入って、「帰国以来、便秘なんですよー。」と言っていたら、「アメリカに帰ったら治るのでは」と言うことだった。それは、どうか分からないけれど。体にしてみれば、アメリカが「普段」に変化したのかもしれない。そういえば、昔のルームメイトで、年に数ヶ月は日本に帰っている人がいて、帰ると調子悪くなると言っていたのを思い出す。

それと、これは、私、特有なんだろうけれど、やたらと、さみしい。

今回、帰国するにあたって、実家ではなく、ホテルやウィークリーマンションに泊まっている。けれど、このさみしさは、ホテル暮しのせいではない。直前に、グアテマラを一人で旅行していたけれど、このような孤独感はなかった。

自分なりの分析で、さみしいのは、子供の頃感じていた気持ちを再体験しているからだと、理解している。

高校卒業まで、だいたい京都で暮らしていたのだけれど、その間、子供ながらに、色々大変で、そこ頃見ていた風景や空気に触れると、心や体がタイムスリップして、未処理の感情が掻き立てられて、水面に上がってきているのだろう。

さみしいのは、辛いけれど、私的には、それほど悪いことだとは感じていない。この感情を、やっと、正面から感じられる位強くなったので、表面に出てきているのだと思う。今までは、感じるのがこわくて、なんとか、逃げたり隠れたり、押し込めたり、誤魔化したりしていたかもしれない。

帰国した当初は、本当に暑い日が続いていたけれど、涼しく(と言うより、寒く)なって、日が短い、さみしい気持ちがあうような季節になった。でも、私のさみしさは、逆に、少し、ゆるんだようだ。もうすぐ、再度、飛行機に乗って、向こうの家に帰る予定。

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