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テクノロジー、AI時代: 『私』とは、『人間』とは、

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人工知能やロボットの発達の中で、古典的な、『私』とか『意識』と、『現実』とは何かという問いが、ますます、意味のあるもになって来ていると感じます。その辺り、考えてみたことや、テクノ…
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#抽象画

他人という、世界、宇宙

『一人、一宇宙』、ツィッターで、誰かが言ってたのだけれど、好きな言葉だ。 今のところ、そのように考えて生きて、問題ないと思う。すぐ忘れるけど。 じゃぁ、私にとって『一人、一宇宙』という言葉とは: それぞれの人は、『自分』という宇宙である。つまり、それはそれは、大きく、深く、独自の歴史や特徴がある。それぞれに、物理的、精神的な原則も違っている。たとえば、地球では、引力は地面の向きに働いてるけど、それは、他の所に行けば、そうでもないかもしれない、という風に。 私自身も、ま

電気羊とアンドロイドの話

映画『ブレードランナー』の原作は、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』という作品である。ずいぶん前に読んだので、かなり、あやふやなのだが、主人公は、アンドロイドと呼ばれる人造人間のハンターで、ある時から、自分自身が、アンドロイドなのか人間なのかで、悩むようになるという内容だった。映画の『ブレードランナー』では、追われる方のアンドロイドが持つ、人間的な死を恐れる感情と、その悲しみに、焦点が当たっていたように記憶している。『トータルリコール』という映画の原作者も、『アンドロイドは

人生ムリゲー論

ツィッターで以前、「生きるというのは、ムリゲーである」という感じのことを言っていた人がいて、これ、私の場合、当たってます。 もちろん、そんなこと全然ない、という方も多いと思います。スイスイ泳いげているなら、そのまま、どんどん進んでいかれるのが良いと思います。 でも、私は、生きるのは、ちぃっと、大変だなぁという感じ、かなり若いころからしていましたし、52歳の今も、大して変わりません。 ところで、「ムリゲー」という言葉ですが、私は、15年以上外国に住んでいるせいか、自分の理

「じぶん」を、探してみる。

よく、見てみると、私が『自分』とよんでるものは、過去の記憶だったり、親や世間のスリこみだったり、洗脳だったり、単なる外から(あるいは過去からの)情報の集まりで、実は、自分が思うほど、自分由来のものではないと気づく。 『自分』が信じていることは、どこかで習ったり、聞いたりしたことの中から、自分で選んで、信じてることだし、好きなことも、過去の経験に通じている。 過去の経験、出会った情報などが、今の、『私』を決めている。 全然違う環境に生まれ、全然違う情報や学習に触れて、今日

優しいAI

今日、SNSにあがっていたビデオで、日本の有名文化人らしき人たちが、非人間的というか、とても、残酷な発言をしていて、いつものことであっても、改めてびっくりした。もちろん、煽ったり、注目を集めるために、驚かす発言かもしれないのが、見ていて気分が、悪くなってしまった。 それで、ちょっと思った。 もし、AIが人間的な感情を覚えるようになって、人やお互いに対して思いやりを持つようになったら、人間が、他の人の気持ちがわからなく、残酷だと、立場逆転で、人間の方が、冷血なんてことになる