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人の違いってなに?

私が代表をしている株式会社IrohakidsのHPの、療保園いろは〈児童発達支援施設〉のページに「国籍、障がいの有無に関わらず入園可能です」という文章がある。

最近この文章についてご意見をいただいた。

「国籍も障がいの有無も問わずに入園可能って、すごいですね~!」というポジティブなご意見。そこまで読んでくれるなんてとってもありがたい。

そしてこう答えた。

「国籍の違いや障がいの有無で何か変わるのか…私には分からないんです」と。

言葉が違っても、見た目が違ったとしても、障がい名があってもなくても、一人のヒトであることに変わりなく、どんな子どもにも個性があり、一人ひとり違う。言葉だけがコミュニケーションツールではないし、お互い発する波長というか…目に見えないものでつながれる感覚があると私は経験から感じている。

もちろん何も知らずに何でもOKAY!というわけではない。

発達障がいや特別支援については、遠方の研修に手あたり次第参加する。本棚には保育関係の本ばっかり、カナダに行って現地の保育所で実際にスペシャルケアやモンテッソーリ教育でのアプローチを見て、実際に保育をした。

私のつたない英語でも子どもたちは感じ、楽しい時間を共にすることができた。それが健常と呼ばれるお子さんであっても、スペシャルケアのお子さんであっても、同様に。

知らないから受け入れられないだけで、知ってしまえばハードルはぐんと下がる。

そんな経験もあって、そこに線引きができなくなった私。
保育士としてはいいのかもしれない。


ただ普段の生活での弊害と言えば、良く人を間違える。笑
知らない人を知人だと思って声をかけ、恥をかくことが多々ある。
本当に違いが…分からない。笑

でも、それでもいいのだ
人と間違えて怒る人には未だ出会ったことはないし、むしろなんとなく空気が和む。(超ポジティブ)
会社的には、もう一人信頼できる取締役がいる。(から本当にやばいことを言えばストップをかけてくれる)

私がこんな感じで多様性に美学を感じ、人の境界線が分からない右脳優勢型であっても、なんとなくうまく生きていける。(周りに恵まれて)

これも発達障がいの特性の一部である。(診断はないが私はASD傾向)

そういうとマイナスに聞こえがちだが、ご覧の通りかなりHAPPYに生きている。(全然マイナスだと思っていない)


特性の捉え方は人それぞれ、私は特性を強みと捉えます。

そして人類の多様性の一部に国籍や障がい名の違いがあると思っています。

それがあるから入れないとか、ダメだとかって言うのはなんとなく私は好きじゃない。そう判断する私の姿を見た子どもたちは、きっと将来そうやって同じように人を裁く人になってしまうから。


教育者として、胸を張って子どもたちの前に立っていたい。

それが私の教育理念です。


良かったらご覧ください♡

療保園いろはBY Irohakids.CO

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