日本人女性初のイラストレーター田村セツコ
今回も、昭和の少女雑誌付録を支えたクリエイターさんのエピソードです。
前回、中原淳一さんと内藤ルネさんの関係をご紹介しました。
今回ご紹介する田村セツコさんは松本かづちさんのお弟子さんです。
松本かづちさんは、中原淳一さんと人気を二分する超人気作家でした。
元祖マルチクリエイターとも言われています。
◆松本かづちオフィシャルサイト
http://katsudi.com/
田村セツコさんは、松本さんに手紙を送った事がきっかけで、師弟関係となりました。
◆田村セツコオフィシャルブログ
http://ameblo.jp/setsuko-tamura/
当時は人気作家さんの住所が公開されており、自由に手紙を送ることができたそうです。
とは言いつつも、松本さんのような超人気クリエイターからお返事がくる保証はどこにもありません。
それが運よく、「貴方の作品を見せてください」と返事が来ました。
※一説によると、セツコさんは返信用封筒を付けて送ったのが良かったのかも?とも言われています。相手の事を配慮するセツコさんの人柄が伝わったのかもしれません。
そしてセツコさんは、これまでに描きためていた絵を封筒パンパンに入れて送ったそうです。
コツコツと絵を描きためていた努力が実り、かづちさんの元へ絵を習いに行くようになりました。
田村さんは銀行員を続けながら絵の勉強を続けていたそうです。
当時の銀行員ですから将来安泰。両親大喜びですよね。しかも秘書室。
ですが、会社の反対を押し切りイラストレーターへの道を進みます。
今でも銀行員からイラストレーターへの転身は勇気がいる事だと思います
周囲の反対を受けながら安定しないイラストの道へ行くなんて、並みの覚悟じゃできません。
そして師であるかづちは言いました。
「どんな事をしてでもあなたの道を開いてあげましょう」
かづちの後ろ盾もあり、イラストレーターデビューを果たしました。
が、順風満帆ではありませんでした。
貰える仕事は小さなカットばかり。それでも文句を言わずにこなしました。
的確で作業の速いセツコさんは、いいように使われるのもしばしば。
夜中にイラストを持って行くこともあったそうです。
加えて、編集社の偉い人にイビリを受けていたそうです。
周囲も気づくほどあからさまだったとか。人知れずトイレで泣く事も。
(なぜ気づいているのに誰も助けないのか?と思ってしまいますが、縦社会ですからね。。裏で慰めるのが精いっぱいな環境だったのでしょう。私も理不尽な攻撃を受けた事があるので、相当なストレスだっただろうと察します。)
反対を押し切ってイラストの道へ進んだので、逃げ出す事ができません。両親には「後悔しない」という誓いを立てているので尚更。
かづちさんという偉大な師の顔に泥を塗るわけにもいきません。
心身ともに過酷な状況が続いた事が窺えます。
信号待ちで見知らぬ女性に「大丈夫・・・?」と肩を叩かれた事もあったそうです。そのくらい疲労困憊していたという事ですね。
チャンスは突然やってくる
急病のイラストレーターに代わり、セツコさんが代理で絵を描くことになりました。この時に描いた少女のイラストがきっかけで大ブレイク。
次々に依頼が来るようになりました。
そして、セツコグッズとして一世風靡するほどの人気イラストレーターとなりました。
セツコさんのエピソードを探っていると人気者は最初から人気者だったわけではないと実感します。地道な下積みがあるんですよね。
・小さな仕事にも手を抜かない
・相手への配慮
・諦めない
そんなお仕事ぶりが、小さなチャンスを活かす事ができたのだと思います。
noteにも沢山のクリエイターさんがいます。趣味の人もガチの人も沢山います。地道な努力を続けている方の1年後2年後が楽しみです。
私も何か残さなきゃなぁーなんて思いつつ。
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