【宇宙よりも遠い場所】呪縛への置き土産

南極のぶあつい氷を踏むことは、その土地で過ごすことと同じぐらいの困難をともなう。
仕事帰りに近くのコンビニに寄るのでも、連休に観光地をおとずれるのとも勝手が違っている。
生命の息吹すら凍りつくそこへは、ごく限られた、選ばれた人間しかたどりつくことができない。

最初、報瀬にとっての南極は、遠い憧れの場所だった。
母親の貴子が語るそれは、はるか海の向こうのお菓子の国であり、雲よりも高い天空の星々のありかであった。
はてしない夢の延長線上に、その白銀の地は存在していた。

彼女と南極との関係に変化が生まれたのは、貴子が遭難してからである。
母の生存を信じ続ける報瀬には、そこもまた確固とした現実でなければならなかった。
母の面影を道連れにして、もろくも消え去ってしまう夢想であることは、絶対に許されなかった。

捜索は打ち切られたが、最悪の結末を断定するものは何も見つかっていない。
それから目をそらすためだったのかもしれない。
報瀬の心の中に、南極がいかめしく居座りはじめた。

観測船は民間からも出せるようになっていた。
(現実では自衛隊、つまり公務による派遣のみが認められている)
だが、そうであっても、それに乗れるのは、ほんの一握りの、ごくわずかな人だけだった。
彼らの大半は気象学や地学、生物学の研究者で、むろん女子高生などは問題外である。

しだいに、報瀬の人生は南極に支配されていった。
進路調査票には、南極にいくとだけ書き記し、交友も断って、ただそのことしか考えなかった。
アルバイトで資金として一〇〇万円を貯めた。
母に同行していた隊員達にも頼みこんだ。
周囲からは南極とあだ名された。
もはや、それは、彼女の意思と行動を決定づけて、制限する呪縛にほかならなかった。

最終的に報瀬の運命を決したのは、自身が行動し続けたことである。
世の中には、何かにとらわれて、ただ不満を洩らし、嘆くだけの人々があまりにも多い。
やがて彼らは醜く腐っていく。
しかし、報瀬の意地は、結月から声をかけられるまで、決して折れなかった。

その道程で、報瀬の胸のうちには呪縛以外のものも生じてきた。
マリ達に対する友情は、シンガポールでのパスポート紛失や、相手を唖然とさせる友達契約書、日向の退学につながったわだかまりの解消を経て、深まっていた。
母がいなくなり、友人もいなかった報瀬に、この人のぬくもりは久々だった。
それは徐々に、彼女の中の呪縛を包んで、覆い隠していった。
親友との共同生活は、ここにきた当初の目的を、母の姿が見えないという認めがたい事実とともに、忘却のかなたに押しやりつつあった。

年が明けて、隊長の吟は四人を内地の任務に誘う。
そこで貴子は消息を絶っていた。
報瀬は不安に感じる。
この任務を通じて、母の記憶が、仲間達とのにぎやかな南極での日常に埋もれてしまったことを自覚するのではないか、と。

これまでの出来事を、今一度、思い返してみる。
資金として、アルバイトで稼いだ一万円札を、テーブルの上に一枚ずつ並べていく。
レジ打ち、工場、清掃……と、仕事内容を口にしながら。
まだ、南極への執着は、母への想いと一緒に、完全に忘れ去られてはいなかった。
報瀬は任務への参加を決意する。

内地の基地に、貴子はおろか、その痕跡すら残っていなかった。
冷酷な真相が報瀬に迫ってくる。
彼女は、母がいたこの場に立てただけでも充分だと言い聞かせる。
けれども、マリ達三人は諦めなかった。報瀬の強固な意志を、目の前で見てきたからだ。
彼女達は基地内を探しまわる。そしてついに、貴子のノートパソコンを発見した。

一回観れば心に焼きついて離れない、この作品の魅力を最大限に高める名場面である。
全一三話においては、めぐっちゃんからの絶好宣言といったシリアスな話のほかに、男性隊員の恋愛相談などのコミカルなものも複数含まれている。
この二つの配分がすばらしく、中盤で、飽きたり退屈になったりすることがない。
にもかかわらず、第一二話のラストは、それらすべてを圧倒する。

一人きりの部屋で、報瀬はパソコンを起動する。
メールソフトを開くと、おびただしい数のメールが受信されていく。
どれも彼女が日本から母に宛てて送ったものだ。
貴子はもういなかった。
母に呼びかけながら、報瀬は泣いた。扉の前で様子をうかがっていた三人も泣いた。
彼女達だけではない。視聴者も泣いた。私もぼろぼろと涙をこぼしていた。

南極から報瀬は解き放たれた。
マリの思いついた、このまま残ろうかとの提案を、とっさに否定したほどだ。
日本に帰る彼女達は、それぞれの暮らしに戻っていく。報瀬とマリは二年、結月は一年の高校生である。

全体として評判の高い本作だが、基地に一〇〇万円を置いてきたことは、しばしば批判された。
だが、あれは女子高生としての日々を送る分には必要ないものだ。
南極に降り立った時点で、そこにいくための資金だった一〇〇万円の役目は終わっていた。
たしかに結構な金額ではあるが、これからの未来にはいらない。
お札のぎっしり詰まった白い封筒は、すでに過去になったもの——南極という場所と自分の気持ちへの、置き土産だったのである。

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