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祖母と私の埋まらないズレの話

まえがき

今回妊娠のことで、過去祖母とのやりとりを
深く思い返すことがありました。
すごくプライベートなことだし、決して気持ちのいい内容ではないので、私同様傷つく人が出てきてしまうかもしれません。
なので、不快だなと感じた方はその時に読むのをやめてほしいです。
漫画にしようかとも思いましたが、あまりにネチネチした感情だったので
描く気も起こらず文章に起こすことにしました。

そもそも私はあまり妊娠に前向きになれなかった時期もあり、
結婚することさえ難しいこと、子育てなんてそのはるか先。
パートナーの有無も、子供のあるなしも、親のありかたも、
自由であるべきだと思っています。
正直他者の妊娠に対して、勝手にもやもやした気持ちを抱えていたこともあります。
そういうことも含めて、祖母のあらかたのひととなりと、私との関係と、
私と祖母の間であったことを、私の思ったことをつらつらと書いていきます。

祖母という人

一昨年祖父が亡くなり、私が手続きやらなにやらをやっていた時に、
祖母と過ごす時間が長くなり、祖母の過去のことをいろいろ聞く機会がありました。
祖母は90歳過ぎ、戦前生まれの人です。
裕福な家の実子として産まれた祖母は、蝶よ花よと育てられ、周囲の子供達はカスリなどを着ている時代に、ニットのセーターや珍しい洋服を着せてもらったといいます。
祖母の家は、実子のほかにも事情があった親戚の子を家族に招き入れられるほどの余裕のあった家でした。
祖父に惚れ込んで、入り婿状態にして恋愛結婚した祖母、当時学校教育というものが始まった頃から、夫婦共に教師になり父を育てつつ30年勤め上げました。
祖父はその後出世して、周囲ではいろいろありつつも、公務員ということで比較的お金に苦労しない生活を送ってきました。
私も、私の家庭も、かなり祖父に助けられてきました。
戦争も含めていろいろあったとは思います。ただ言い方は悪いですが聞けば聞くほど祖母は箱入り娘で、環境や周囲の人に大切にされ生きてきたのだなぁと感じます。

祖父が働いている間は祖母には厳しかったようで、そのこともよく聞きましたが、それ以上に祖母は祖父を誇りに思っていたし、祖父が亡くなってからの祖母の心の欠乏は大きなものだと思います。
私も家を買って、夫の帰りを待っている時間ずっと一人でいて、祖母が今抱える寂しさを思うことが多いです。

私と祖母

共働きの両親に代わって、私はたくさんの時間を祖母と過ごしました。
祖母は私にもたくさんの愛情と手間を注いでくれました。
その反面父を育てた頃から教育者だった祖母の教育姿勢は、私個人といよりは、「祖父母の孫である人間」としての対面を大事にする人なのだという感覚が強く、なんとなく幼ながらに感じていました。
ただ私もそれに逆らおうという気持ちもなく流されるまま生きてきて、「自分の意思」というより、祖母の喜ぶような自分でいることを選んできたように思います。
祖母の悲しむようなことはしないし、必然的に俗に言ういい子にはなります。成人式も祖母が喜ぶように日本髪を結ったくらいです。
私の中では祖母の中に謎の絶対的な正しさがあったのです。

いろいろな教育方針があるし、祖母が間違っていたとも思いません。
育ててもらったこと、愛情を注いでもらったことはとても感謝しているし、裁縫の得意な祖母や、年齢を重ねてなおおしゃれでいようとするところなども、尊敬しています。大切な存在ですし愛していますが、今となって距離をとってよかったなと感じています。

離れてみて改めて、自分で想像していた私は祖母の存在を呪縛のように感じていたのだなと実感しました。


初めて祖母に怒ったこと

今までなんやかんや祖母に対し従順だった私が、初めて祖母に怒り散らしたことがありました。
それは数年前、弟の彼女に婦人系の病気の疑いがでた時のことです。
結果的には検査は陰性で、何事もなかったので良かったのですが、その話を聞いた祖母は、弟に彼女と別れるように言ったと言うのを母から聞いたことがきっかけでした。
もちろん祖母が別れろと言ったのは「将来子供ができないから」です。

それを聞いた時にはまず弟に厚かましくも絶対に別れてはいけないと長文のメッセージを送りましたが、おそらく祖母には縛られていないので私よりもやんわり受けとめていたのでしょう、大した返事も返ってきませんでした。
でも私は違いました。
もう本当に脳が震えるような感情の波がウワっと押し寄せてきて、とうとう祖母にもそのことについて訴えにいきました。

祖母が放った言葉は私にではなく弟とその彼女へ向けたものだったとしても、当時私は7年結婚生活を送っていても子供ができないような状態で、さらに離婚もして、今まで祖母が私に思ってきただろうことを、とうとう言われたような感覚になっていました。

私は避妊もしていなかったけれど、そもそも前向きにもなれなかった。
それは人生自体が逃げたいほどしんどいと感じていて、同じ苦しみを子供に味あわせてもいいのかという後ろ向きな気持ちも大きかったからです。
それに関して詳しく描いた記事は↓
https://note.com/iroha867/n/n05857228f9ac
(関連記事もあるけど、気になったらどうにか辿ってください)

避妊しなくても妊娠しない自分の身体のおかしさ、前向きになれない心、周りが妊娠していくことをお祝いしながらも、そのぶんなぜなんだと自分を苛むような気持ち。妊娠のことを考えると、いろんな感情で心がどんどん曇っていくようでした。

私は祖母の前で、別れろというのはおかしい、今は女性が子供を産むことだけが生き方じゃない、と訴えながら、だんだんと自分をかばっているような気持ちも押し寄せてきて、ぼろぼろと涙が溢れていました。
生まれて初めて祖母に反抗して私は怒っていました。
祖母の意見は一貫して頑なで、私の意見を否定まではしないものの「私はあんたと生きてきた時代が違う」の一辺倒でした。
一方通行の会話に煮詰まった私は最終的に「私も子供がいないけれど、それは役たたずと思っているの?」と聞いたところ、「そうだ」と言われました。
もう本当にショックでした。あぁ、そう思っていたのかと。

信頼と尊敬を寄せている人、私を育ててきた祖母。彼女にとっての私はお役目を果たすための人間であり、それを遂行できていない出来損ないだと思われている。
たとえ高ぶった感情の一部だったとしても、それは真実で、かろうじて息をしていた「祖母に育てられてきた私」にトドメを刺すのには十分すぎる一言でした。大げさだとしても、ある意味私はそこで一度死んだとも言えるほどです。
祖母の家からの帰り道は途方もない空虚感に襲われたのを覚えています。

ズレは埋まらないと諦める

その後もしばらく実家で過ごし、祖母の足としていろいろなところに行ったりしていたので、相変わらず一緒に過ごす時間が多く、その後も会話は続けたものの、もう二度と妊娠について話すことはありませんでした。

ただやはり穏やかな会話の端々で、「親戚の子が結婚しないので、旧姓が途絶えるのが悲しい、誰か紹介してやれないか」などを含む、祖母の意思を多く聞いてきました。繰り返し、繰り返し、何度もいうので、もう私はいちいち考えたり、自分の意見を言わずにに流すようにしていました。
彼女にとって大切なのは個の幸福よりも家名なのだなぁと、そういう時代に生きてきたせい、とまで一括りにするつもりもないですが、人それぞれ大事なものが違うように、それに対してどんなに私が嫌悪感を抱いたところで、否定してはいけないな(というか疲れた)というおおらかな気持ちになるように心がけました。
どんなに大切な人でも、合わないズレは必ずある。

幸いなことに「逃げる」ことを覚えたり、環境が整った私は実家や祖母から離れてみてようやく、祖母の意思に縛られない、誰のためでもない自分主体の暮らしをこの歳にして少しずつ積み上げられるようになりました。自分の中に勝手に刷り込んでしまっていた、祖母の昭和イズムともいえるどろりとした血液を洗い流していくような日々。
あぁ、別に私は私の価値観で生きていいんだ、と思える。
それは簡単で当たり前のようでいて、私にとってとても得難いことでした。

そういう環境に身をおいて初めて、自分の婦人科の病態にもスポットを当てることができ、戸惑いながらも治療を行なっているうちに妊娠という流れになりました。
祖母に妊娠を報告したとき、本当に喜んでくれましたが、「待っとったよ」という言葉にはモヤモヤが湧き上がり、正直自分の中で腑に落ちきっていない部分も大きいのだと思い知らされるのです。
だから、子育て以前に心の準備ができているか?と言われれば、まだ不完全なものなのかもしれません。
ただ、前よりはずっとマシです。呪縛のような祖母の意思から環境的に離れて暮らすこと、健康でいつも機嫌のよい穏やかな夫とふたりで楽しく過ごすことができていること、気にかけてくれる友人がたくさんいてくれること、親不孝、祖母不孝な私にはもったいないほどの環境です。

今では祖母のことも、見習いたいところだけ見習えばいいと思えます。
大なり小なり反面教師であった部分、どちらかといえば子育てに関しては「こうしたらいいこと」よりも「こうすべきじゃないな」ということのほうが今の私にはわかるので、それをしてしまわないように、のびのび学びながらやっていきたいなと考えています。
あまりに親の聞き分けのいい子を街で見かけると、すごいなぁと思いつつもちょっと心配になってしまいます。

本当に多様な生き方があって、これから先それをいろんな人がおおらかに受け止めて、もっと自由に生きていける世界ができたらいいなと思います。
大切に仕方もいろいろあるけれど、口を挟んではいけない領分と、どうやったって助けてあげたほうがいい部分があるはずなのです。
近くにいる人や家族ならなおさら、そのスペースを慎重に見極めたい。
他人ならまだ受け流せても、家族に言われた場合傷ついたり、苦しんだりすることもある、逆に救われることだってあるということを、私は身を持って知りました。

前回の妊娠についての報告にもあるように、少し特殊な出産となるため、今は無事に子供が生まれ、数ヶ月を乗り切れるかまで考えると、レポートを描く気になかなかなれませんが、そちらはよい結果が出た時に、漫画でおいおい発表していけたらいいなと思っています。

とりあえず記録でした。ここまで読んでいただき感謝します。

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