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家を買う選択と、生き方

2021年6月25日。私たち夫婦は家を買いました。
まさか自分たちが家を買うとは思っていなかったし、買えるとも思っていませんでした。

引越しもようやくひと段落して、インターネットも開通して、デスクもできあがり腰を落ち着けて記事をかけそうになってきたので、私たちが家を買うまでのいろいろをこつこつと書いてみることにします。

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家との巡り会い

再婚し、そろそろ一緒に住むかと、せわしい日々の中でなんとなしに物件探しをスタート。私の飼い猫は必ず付いてくるし、夫は音楽の仕事。もちろん集合住宅も賃貸も全て視野に入れていたけれど、なかなか見合う物件はありませんでした。
そんな中、物件探しのサイトで見つけた一軒家。
駅近だけれど、細い道を挟んですぐそこに大型の線路があるため、大きな土地にまとめて建てられた戸建のうち、線路側にある売れ残った家でした。
誰も住んでいなくても、築一年を越えてしまうと「新築」と謳えないらしく、その時点でかなり値は下がっていたんだと思います。

とはいえ、賃貸とは違い何千万の世界になってきて、いくらローンで月々の金額を見せられてもなんだかクラクラしてしまうので、最初の見学は「見せてもらえるなら見てみようか」くらいの軽い気持ちで見に行きました。

実際に内覧にいくと二階建てのきれいな家で、ほぼ新築だから何もかも新品。夫と私の職場との距離もよく、電車がうるさいのも音をもともと出す仕事だから周囲に気を使いすぎずに済むなど、条件もいろいろよかった。
中古の家も考えていたけれど、リフォームだったりいろいろを考えるとコストが結局かかってしまう。
実際に見に行ったことと、営業の方からの言葉でなんだか若干の現実味を帯びてきました。

無理かも...からの契約

代理店に戻って、ひとまず審査だけでもしてみましょうという話になり、書面に情報を書いていく。
夫は一年限定で勤めにはいっているけれど、ほぼフリーランスでもともと無理かもなぁという気持ちでした。
後日代理店から連絡がきて、ちょっと私たちでは手に負えないかもしれませんとのこと。
ただ直接メーカーさん紹介しますので..ということで、メーカーさんへ担当を移されることになって、かなり努力していただいて結果的に契約までいたりました。

正直、売り切りたい物件だっただろうことも含めて運が良かったと思います。夫が勤めていない年だったら契約できなかったかもしれないし、コロナ禍で持続化給付金もあったりと、いろいろと税務関係も例外的な動きをしていたということもあります。
ただ、あぁ本当にローン組めるんだ...!戸建に住めるんだ!という驚きと共に、家を買ったことを母に報告した時に「私ができなかったことをやれて、本当にすごいね」と褒めてもらえたことに、うっかり泣きそうでした。

35年間と35年後

「どうして35年ローンとかを組めるんだろう。その間ずっとうまくいっている自信が持てるのが信じられない。」というツイッターの投稿をいつか見たことがあります。
それもすごく分かるし、私だって自信はありません。
でももっと自信がないのは「35年後も健康で家賃が払い続けられているかどうか」ということでした。
ローン返済額は、ボーナス払いもなしで普通に賃貸と同じような価格。むしろ、条件をもっといいものにしたら賃貸のほうが高かったかもしれない。
もちろん賃貸物件にも良さがありますが、分譲を選びました。
資産にもなっていく上に、ローンの支払い試算表を見た時に将来的に最低限の「目処が立つ」ということは、長い時間をかけながらでも責任と共に計画が練りやすいひとつの要素だなと思いました。

さらに、住宅ローンには「団体信用生命保険」というのがあって、それを知ったことも決定に拍車をかけました。
例えば夫婦でローンを組んだ場合など、どちらかが亡くなった時のための保険。内容は保険によって違うとは思うのですが、うちの場合は返済が0になるものでした。
家を買う前に勉強したのですが、片親の子持ちの方なんかは特にローンを組んだ方がいいと感じました。
万一親が亡くなった場合、家が相続できて子が引き続きその家に住み続けることができるというものでもあるそうです。
買うという前提が頭の中になく知らなかっただけで、補償も、保険も、補助も、いろいろありました。
今まで細々生活してきたので、考えにも至らなかったことでしたが、分譲も普通に選択肢のひとつだったのだなと気づきました。

生きることのバイタリティが変化していく

クレヨンしんちゃんのお父ちゃんひろしの「まだローンが残ってるのにー!!」っていうセリフをなんだかすごくじわりと思い出します。
以前書いた記事のように、以前の私は希死念慮がいつでもそばにあって、はっきり言ってしまえば、死に救いを求めていたタイプの人間でした。
今でも根本は変わっていないと思うのですが、再婚し、実家から離れることで、ずいぶんとそれらの気持ちがうっすらと、透過してきたように思います。
誰の指示でもなく、誰のためでもなく、自分や自分たちの都合で住処を選ぶ。私がその道を逸れそうな時は、夫がそれを察して叱ってくれたりもしました。そしてローンを組んだこと。子どもがいない私からすれば、ローンが命の錨のような感じもしてきます。
家が本当に自分たちのものになるまで、払い続ける自分。
35年後も、それなりにこの住処で暮らし続けていられる自分が、たとえ実現しなかったとしてもぼんやり想像できること。
それは過去、今から逃げ出したかった、ただどうにかして休みたかった自分にとってものすごいことでした。
そして前述の通り、団体保険があるから、私が例えば死んでしまったとしても、夫に家を残せることも安心できる材料になっています。

大きな買い物。頭金もたくさん出しました。それは今まで怖くて貯めてきたお金でした。自分のためだけじゃなく、他者の負ったリスクに備えるために、ただ貯めてきたお金。恐怖と不安を数値化したような額にも思えました。健康で金銭感覚が割と合う夫と出会えて、それらの貯蓄を住処のために手放してもいいなと思えて、実際にどんと手放せたことも、私の生き方を自分で選べたと思えた瞬間でした。家具もいろいろ買ったり、生活するにあたってのストレスが少ないように工夫したりもしています。

「自分の暮らしを自分の思うように良くしていける」「自分本位、自分優先」ということは普通にできることなのかもしれないけれど、私にとってはとても難しいことで、新しい暮らしの作りかたのコンセプトをこういう風に転換できつつあることは、私という一体の人間としてのすごい進歩だと思います。

ひとところの住処を決める

どこでだって仕事ができるのでノマドワーカーといえば聞こえはいいけれど、住処がなかなか決まらない暮らしでした。
実家のアトリエを借りて住んでいたものの、トイレはとなりのレストラン、お風呂はさらに車で3分くらいの実家、祖父が亡くなってからご飯を食べるのは祖母の家で、さらに引越し前は車で片道1時間半の夫の家とを行き来するという、細かいものから大きめのものまで、とにかく移動の多い生活をしていました。計算すると1ヶ月でほぼ24時間くらいを移動に費やしていました。

名称未設定のアートワーク


出張も多かったので、出かけることにはなれていたけれど、結局どこも借りぐらしのようなふわふわと浮遊する暮らしでした。まだ落ち着いてはいないけれど、ようやく「ひとところの住処」を手にいれることができた今、普通に生活の全てが揃った家や部屋があって、そこに腰を落ち着けるのは、えらく久々なことのように感じます。
実家から物理的に離れることで、店の手伝いや祖母の介抱などイレギュラーな差し込みもなくなりました。
数日だけですが新居で過ごすことで、使える時間の多さに驚いています。
一年以上前はこんな状況になるとは予想もしていなかったし、これからもいろんな場所で仕事はすると思うのですが、落ち着く環境を整えることででき 、制作時間が増えることで、向き合えるものが変わってくる予感もしています。

決まった未来ではないし、壊れてしまうこともあるかもしれない。
私はそれを知っています。
でもまだこうやって、信じさせてくれるような出会いがあったことは、とても運が良くて、感謝ばかりです。

ひとまずお家は綺麗な状態を保てるように、頑張っていこうと思います。

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