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『推しは推せる時に推せ』の意味を自分なりに学んだ話

どうもおはこんばんにちは、いろはです

今回はnoteで書いてみたいと思います、見やすかったらアメブロから変えるかもしれません。


※このnoteには強烈な自分語りが含まれています※


まず、これを書くにあたってツラニミズさんの名前を出すこと、無許可で書いてしまったことをこの場を借りて謝罪したいと思います。(問題があれば消します)


さて、『推しは推せる時に押せ』という言葉、オタクであれば1回は聞いた事のある言葉だと思います。

これは、アイドル界隈や昨今ではVtuber界隈でよく耳にすると思いますが一般的に「推しが引退等をしてしまう前に推しとけ」的な意味合いだと思います。違かったらごめんなさい。


さて、先日の夜、私事ですがこのようなことがありました。


よくある『憂鬱の波』といいますか、その日の夜はいろいろ考えてしまって後は質問の通りなのですが、気持ちに整理がつかず、よわよわメンタル故に年甲斐もなく泣いてしまって。

これを読んでる人も推しが有名になってうれしいけど、遠くに行っちゃったみたいな、推しの有名度と応援の熱が自分の中で反比例してもやもやしたことあると思います・・・・・・あるよね?


そこで、「Vをプロデュースする側としてこんなファンのことはどう思うんだろう」という建前と、少なくとも「今現在応援しようと思っている気持ち」は偽りじゃないことを認めてほしい本心を(FFの関係上個人的に)一番身近な方に相談してしまいました。


大勢いる開拓者の1人でしかない僕に返してくれただけでも感謝が尽きないのですが、普通、自分が手掛けていること(ヒト・モノに限らず)に冷め始めてるかも、なんて質問が来たらスルーか「引き止めなくちゃ」であったりのアクションを起こすと思っていました。


しかし、返ってきた答えは

「最終的にはお互いを受け入れるしかない世界でもあり、応援する気持ち、冷め始めている気持ちはどちらもあってよいもの。環境の変化は大きなことで、気持ちが揺れ動くのはある意味仕方がない。」

といった ものでした。


この時ふと思い浮かんだ言葉が「推しは推せるときに推せ」でした。


もちもん、推しが引退等をしてしまう前に推すことは大事だと思います。しかし、自分の熱が冷めてしまった場合、それまでの応援を「なにやってたんだろ」と思わないように、後悔しないようにって意味でもあるのかなと思います。

それまで応援してた気持ちは少なからず本物だと思いますし、その応援も心からのものであったはずです。

僕個人、スパチャの金額やイベントの参加非参加は関係ないと思っていてツイートにリプライをする、動画にコメントするだけでも十分伝わってるんじゃないかなと思います。


好きな気持ちに嘘はつけないからこそ好きなうちに、お互いの時間を共有できるうちにたくさん思い出作っていこう



というお話ですが書いてる途中で一人で感極まってまとまらなくなっちゃったんで、臭い自分語りはこの辺にしときます。


推しは推せるときに推そう!


#VTuber #バーチャルYouTuber

【追記】 2019/5/27/21:44 タイトルに誤字があったので修正しました
押せ→推せ

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