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「世界からあらゆる境界線をなくしたい」軌跡から紐解く、セトちゃんが人生で大切にしたい想い。

ミュージカル「えんとつ町のプぺル」のプロデューサーであり、Chimney Town USA Inc.社長でもある“セトちゃん“こと瀬戸口祐太さん。私が彼に抱いた第一印象は「人との境目がなく、誰からも好かれる人」でした。

現在、アメリカのブロードウェイで世界一を目指し、日本を代表して活躍しているセトちゃんとは一体どんな人なのでしょうか?そしてなぜ、今のキャリアを築くことになったのでしょうか?

彼の人生の軸にある想いを尋ね、その軌跡と、現在から未来への想いについてお話を伺いました。

セトちゃん(瀬戸口祐太)Chimney Town USA Inc.社長|1997年生まれ。21歳の時に、キングコング・西野亮廣さんのもとで働く学生インターンとして、パリ・エッフェル塔での個展責任者からキャリアをスタート。2021年、ミュージカル『えんとつ町のプペル』のプロデューサーとして東京公演を成功させた後に、拠点をNYに移す。現在は「ブロードウェイでトニー賞(世界一)を獲る」という目標を掲げて挑戦中。


セトちゃんの原動力にある想い


━そもそも、なぜセトちゃんはエンターテイメントの世界に入ろうと思ったのでしょうか?

僕の中で、「世界からあらゆる境界線をなくしたい」っていう”人生のテーマ”があって。エンタメをやろうと思ったきっかけも、それが基点になっているんですよね。

━「境界線をなくす」って、具体的に言うと?

性別や年齢、国境とか宗教とか人種、そういった僕たちが”違う”と捉えているものの境目をなくしていきたいって想いがあります。

━なるほど。その想いは、いつ頃から意識するようになったんですか?

いつ頃からだろう…?でも、幼少期から”男の子だけど可愛いものが好き”だったり、僕自身あまり人との境界線を気にしないキャラだったんですよね。なので「男だから、女だから」とか「年上だから、年下だから」とかって聞くと「別にそこまで分けすぎなくていいのになぁ」って違和感を感じていました。

幼少期のセトちゃん(写真左)

ただ、明確に意識したのは僕が大学3年生、20歳でロサンゼルスに留学した時ですね。初めての海外で、なにもかもが日本と違う環境で暮らすことになった時に、まず、英語がネイティブの環境では全然歯が立たなくて。言語が通じないので、友達もなかなか作れないし、何もかもが上手くいかない中「なんでアメリカに来ちゃったんだろう…」って思うくらい行き詰った。これは打つ手がないなって思ったんですよ。

━誰とでもすぐに打ち解けられる今のセトちゃんの姿からは意外!なにが変わるきっかけになったんでしょう?

ちょうどその頃、大学の近くでダンスチームの勧誘があって。当時、僕はダンサーをやってたので「これしかない」って思って、とりあえずオーディションを受けてみたんですね。

みんなが輪になって1人ずつ踊るスタイルだったんですけど、僕が踊った時、その場がめちゃくちゃ湧いて!!その瞬間、初めて自分が認識されたというか「いてもいなくても変わらない、ただの外人」から「自分」という存在が初めてこの国で認められた感覚を味わったんですよね。

そこから”お前面白いな!”って、喋ってもいないのにみんなが友達になってくれて。友達ができてからは、自然と英語もだんだん話せるようになって世界が広がりました。

大学時代:ダンスチームの仲間と(写真右)

その時、ダンスや音楽といったエンターテイメントって「あらゆる境界線をなくしてしまうんだな」って思ったんですよ。海外に出るとより感じる、国境や宗教、人種や性別といった、一見僕たちが”境目”だと思っているものを飛び越えて人間を繋げてくれるものなんだなって。

世界にはあらゆる境界線があるけれど、みんな同じ「人間」なんだから、もっと繋がってもいいのになって僕は思うんです。それが出来たら、もっと良い世界になりそうじゃないですか。だから、その時”エンターテイメントに生きよう”って決めました。

━大学時代の体験から生まれた想いが、今のセトちゃんの原点なんですね。そしてそれを、日本だけじゃなく世界中の人に広げたいと?

そうですね。なので、今目指している「ブロードウェイで世界一を獲る」っていうのも1つの過程で。日本人として、世界中の人達と手を繋いで一つの結果を出すことに意味があると思っているんですよね。

それが結果的に、「日本ってまだまだいけるんだ」という日本人にとっての希望にもなるし、挑戦の過程で知る"今の世界のリアル"をみんなで共有することも、これからの日本を盛り上げていくには必要なことだなと思っています。

━”日本の固定概念”を変えていく。現在のアメリカでの活動が、夢の実現のための大きな一歩でもあるんですね。



支えているモノの正体


━夢を叶えるまでの道のりって、華やかな場面だけでなく地道なことの連続のはず。セトちゃんを支えているものはなんでしょう?

難しいですね(笑)でも、僕の場合、落ち込むことは少なくて、それより「悔しい」と思うことが多いような気がします。この「悔しい」という想いがそのまま、強いエネルギーになっている感覚ですね。

「境界線をなくす、世界一を獲る」という、明確にやりたいことはあるものの、簡単には叶えられないとも分かっていて。”大変なことも絶対にある"と知った上で、自分で決めて目指しているので、例え上手くいかなくても、それも過程の1つだなって捉えられているのかもしれません。

━立ち止まっていられないですもんね。

そうなんですよ。社長やプロデューサーとして、数多くのメンバーの人生を背負っている立場なので、自分だけの感情だけで生きている場合じゃないっていうのが大きいんですよね。守るべきものを守るために、笑っていようと泣いていようと、僕は走り続けなくちゃいけない。

守りたいチームの仲間と(写真左)

例えば今日、大変なことが起きたとして、そのまま2時間落ち込むのは簡単なんですが、「この2時間は僕だけのものじゃなくて、この時間に僕がどう生きるかによって人生が変わる人がいる」と思って生きているので。だから走りながら受け止めて、切り替えて…って、ずっと前を向いていられるんだと思います。



エンターテイメントの世界への入り口/2019年エッフェル塔での個展


━西野さんと出会った日のこと、初めて任された個展のことは、今でも思い出しますか?

思い出しますね。最初の頃のことは、ずっと覚えています。初めて会った飲み会の席で、西野さんが話していたことがあって。

今の時代って、ネットとかで正解が見えちゃうから、若い人が失敗できないことが問題で。先に答えが見えちゃうから、答え合わせをしながら、なんとなく当たり障りない挑戦をしていくことが多い。だから大人が、若い人がちゃんと失敗できるような大きな挑戦を渡していかないといけないんだよね

と言っていたんです。僕、この時に、「もしインターンに入ったら、大きな挑戦をさせてくれるんですか?」って聞いたんですよ。酔っぱらってた勢いで(笑)そしたら、「あ、それだったら2ヶ月後にエッフェル塔で個展があるんだけど、その責任者やる?」って言われて。「やります!」って答えたら、本当にやることになりました(笑)

━そんな即答できるレベルの話ではないと思うのですが…!?

その時の自分は”なんでもやろう”って覚悟で来ていたので、即答でしたね。ただ、この個展って”えんとつ町のプぺルの世界戦1歩目”くらいの大きいイベントだったんですよ。その飲み会で、西野さんから言われた言葉は、今でも心に残っています。

これがもしダメだったら、いろんな人に叩かれながら7、8年かけてこの作品を創ってきた西野の顔に泥を塗ることになるし、関わってきた数えきれないほどのクリエイターさんたちの信用にも泥を塗ることにもなる。その後ろには、その人たちの家族もいる。それを全部背負うってことだけど、それでもやる?

この時の光景は、今でも鮮明に覚えているし、この言葉は後になればなるほど沁みてくるんです。

パリで開催された個展の様子

━当時も相当な重圧だったと思いますが、社長や立場が変わってより重みが増しているのでは…?

個展の時と今と、背負ってるもの自体って実は大きくは変わってないと思っていて。ただ、あの日から今日まで数えきれない人と出会って、沢山の経験をしてきたことで、自分の中で「”背負っているもの”がより見えるようになったからこそ、その重みや責任を感じられるようになった」というのはあるなと思っています。

さっき話していた「悔しさ」って、”これだけのものを背負っている自分が、まだ今こんなところにいるのか”とか、”このままだとみんなを守れない”っていう弱さを感じた時に、襲ってくるんですよ。でも、逆に、それだけのものを背負っているって実感があるからこそ、強くいられるんだとも思います。「悔しさ」が僕の支えになっているのは、背負うものと直結しているからだろうなって。

隣り合わせに立つセトちゃんと西野亮廣さん(写真中央)

━自分の生き方が明確だからこそ、悔しがっている自分さえも面白がれる。だから、地道な1歩を大切に生きることができているんですね。

確かに。目指しているところは、まだまだ遠いなって思うけど、変な焦りとかはないですね。今日明日で劇的に変わる幻想もないというか。今日も、ちゃんと今日できる全部をやるし、明日も明日やれる全部をやるしかないと思っているから。


感動する瞬間を創り出すことの大切さ


━個人的に、この長いコロナ渦で心を潤してくれていたもののひとつがエンタメだったと感じています。「なくても生きていける」けれど、「あった方がより豊かになる」というか。

張りがなかったですもんね、あの時。やっぱり、人々が感動するとか、心が動く瞬間を共にするって、それを創り出すって、生きていくなかですごく本質的なことだと思うんです。衣食住ほどわかりやすく必要なものではないけれど、それが人のエネルギーになるというか。

ミュージカル「えんとつ町のプぺル」東京公演より

エンタメって、創り手が報われるのは一瞬なんですよね。例えば、ミュージカルの制作に2年かけて、実際にお客さんに観てもらえるのは2週間だったりする。その一瞬のために、すごい数の人たちが地道な毎日を積み重ねているのがエンタメの世界で。

でも、一瞬だけど、一生忘れられない瞬間を味わえたりするんです。みんなの心が動いて、誰かの生きる糧になれて。もう、それを目の当たりにしただけであと2年とか頑張れるんですよね!僕の場合、それに勝る幸せなことってないから、これからもみんなでエンタメを創り続けたいって思うんです。

ミュージカル「えんとつ町のプぺル」の舞台/この場所から、感動を届け続ける

━創り手の仲間と、観客と共に、境界線のない“感動“を一緒に味わう幸せを知っているからこそ、心震えるものを届けられるんですね。



目指せジーニー!?


━セトちゃんの生き方や想いに励まされている人も多いはず。映画やアニメのヒーローみたいな存在ですね!

え、嬉しい…!それで言うと、僕のヒーロー像はアラジンのジーニーなんですよ(笑)彼って、何でも願い事を叶えられるじゃないですか。だけどカッコつけてないというか、ずっとひょうきんというか。最後までふざけてるし、愛されていて。僕、その像がすごい好きなんですよね。

何かを達成したり、誰かを助けることを大袈裟にやるんじゃなくて、それは当たり前にやりつつ、みんなでヘラヘラしてたいんです(笑)

ヒーローだけど、ジーニーのような存在に。

あと彼って、男女とか年齢とか関係なく全員に愛されるビジュアルなんですよね。それこそ「境界線」がない。僕がスタイリストさんと服を選ぶ時も「ジーニーみたいに」を比喩に、かっこよさや可愛さとかじゃなくて「みんなに愛されるビジュアル」を考えたりしてるくらいです(笑)

━セトちゃんが人に好かれる理由は、見た目にも秘密があったんですね。

僕って、仕事場では、常に最年少でトップなんです。会社でもミュージカルチームでも、ゴリゴリのトップランナーの方々を束ねるトップとして立ち回る必要があって、当然、一筋縄でいかないことばかりです(笑)ただ、その時、大切になってくるのが『この人にだったら、なんか身を委ねてみようかな』って思ってもらうための、些細な積み重ねだなって思っているんです。ビジュアルも、そのために考えているひとつですね。

━正直、そこに対する苦しさはないんですか…?

自分を消して、そこに合わせにいくとかはなくて。むしろ最近は、前よりも自分が在るべき姿と本来の自分がマッチしてきたなって気付いたんです!

21歳でこの世界に入った時に、僕はできるだけ自分に近いキャラで「セトちゃんをやる」って決めていて。それは、発信する時に一度でも自分を作ってしまうと、みんなが求める像が自然と出来上がって、どこかで歪が生まれたり違和感が生まれたりすると思ったから。僕には無理だなって思って(笑)


—その追求した結果、自分の解像度が上がって、本来望む姿と、理想の姿とのギャップがマッチしていったんですね。

そうですね。でも、今の自分が見つかったのは「セトちゃん」という人間を受け入れてくれた、西野さんや、会社の仲間がいたからだなって思ってます。

例えば、最初、パソコンすら使えなかった僕に「セトちゃんだから仕方ないよね。他のところで結果出せば良いよ!」って言ってくれるのって、当たり前のことじゃないと思うんです。周りの人が僕を輝かせてくれたおかげで、自分の決意を貫き通せた。結果、自分のパフォーマンスが上がって、チームのパフォーマンスも良くなって。間違いなく、環境に恵まれていたなぁって感じています。でないと、今の僕はいなかったから。



2023年のセトちゃん


━2023年が始まりましたが、今年はどんな1年になりそうですか?

今年からアーティストビザでアメリカに行けることになったんですよ。正式にアメリカで働くプロデューサーとして存在を認められた上で挑戦する年になる。”ここからがスタートだ!”って感覚はありますね。

だから、この記事で僕の軸を知ってくださった人には「セトちゃん、今はどこまで叶えられているのかな」って、一緒にこの挑戦の過程を追ってもらえたら嬉しいなって思います!

━これからどんなストーリーが生まれるのか、ますます楽しみです!セトちゃんが”夢を達成した”と感じる瞬間って、どんな時なんでしょうね?

どうなんですかね。感覚として「世界から境界線が全部なくなるか」って言われたら、この100年とかじゃ無理だから「1人の人間として、どこまでそこに貢献できるか」ってレベルだと思うんです。

それを少しでも実現していくためにエンタメを作ったり、お客さん一人一人と触れ合ったりする。その中で、変わっているという実感を、1つでも多く味わえたら嬉しいなって思いますね。

━その嬉しい瞬間にはきっと、セトちゃんの想いに共感する多くの人が周りにいるんだろうなって想像しました。

僕、ハッピーエンドが好きなんですが、それまでのドロドロした過程もけっこう好きなんです(笑)人生には紆余曲折あるけれど、それ自体も面白がりたいし、みんなと共にしたいというか。

きっと世界には、今日、落ち込んでいる人がいるかもしれないし、葛藤を抱えている人がいるかもしれない。なんなら、もう辞めようって迷ってる人がいるかもしれない。

ってなった時に、僕がVoicyやサロンでずっと発してるメッセージは、「生きてると色んなことがあるけど、その一つ一つを味わうってこと自体が面白くて、結局なんとかなるし、それをなんとかするのも自分しかいない。それならもう、全部受け入れて今日も明るく生きましょう!」なんです。

だから、僕自身は、それを体現できる人でありたいなって思ってます。だって、嫌じゃないですか。ジーニーがまごまごしていたら(笑)

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セトちゃんのエンタメ挑戦記
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インタビューを終えて…


ヒーローだけどジーニーがいいんですよね。最後やっぱ、笑われときたいんです(笑)それをかっこいいこととして終わらせたくないというか、そこまでがセットで”僕”なんですよね。

インタビューの最後に。セトちゃんの一言

言葉の節々に、一貫したセトちゃんの大事にしたい想いが溢れていました。

セトちゃんとの出会いは、2022年12月に開催された“化けるフェス“でした。この時、真冬のキャンプにも関わらず、防寒を一切せずに参加した薄着のセトちゃんは「寒い!」と笑顔で話していて。(それはそうだ笑)そんな彼を見た何人もの人が自ら上着やカイロ、あらゆる布を「これ使って!」と持ち寄り、気付けば誰よりも暖かい格好になるという不思議な現象が。

“初めまして“に関わらず、壁がなく、自然と周りの人や環境と打ち解けてしまう。いつの間にか繋がって、真面目な話を熱く、でも面白く、楽しそうに話す彼の周りには人が集まり、話終わる頃にはみんながその夢の続きを一緒に見たいと惹かれる。そんな彼が言葉にした「境界線をなくしたい」という人生の軸であるその夢は、まさに彼が今体現し続けていると感じました。

きっとこの先、彼が携わる作品を通し、その想いは広がっていく。少しずつでも、確実に。その夢が叶っていく様を、出会ったひとりとして、これからも見届けていきたいし、私からも、その想いを誰かに繋いでいきたいと思いました。

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