見出し画像

すっかり忘れてしまっていた、水と油だった母と私、とお雛様。


昨日みなさんが、
記事や、記事の内容に関係なくても
見出し画などを「お雛様」にしていて
突然思い出したんです。

わたしが幼い頃、
実家には7段のものすごく豪華な雛人形があった

ことではなく、

わたし、すごくちっちゃなお雛様持ってる!

ということを。

その昔、もともとうまくいかない
関係だった母と決定的な仲違いをし縁を切り、
当時わたしは離婚した直後でしたが、
実家を出ました。

その後1年以上、お正月すらも実家には
帰らないような状態でした。
それからしばらくしてからですが、
ほんの少しずつですが和解していきました。
離れて暮らし、距離を取ったことが
結果的に良かったのだと思います。

少しずつ和解し始めていた頃、
それでもまだまだ強くわだかまりも
残っていたような時期でした。
もう何年も前のことです。
おそらく…5年ほど前だと思います。
母と会った時、母はわたしに
小さな箱に入ったプレゼントを持ってきました。
それは、お雛様とお代理様が
ガラスでできた小さな雛飾りでした。
ギリギリ手のひらに乗るくらいの大きさの。

ほとんど飾ることなんてなかったと思います。
が、一応大切には保管してありました。
何度も引越しをしましたが、その度に
失くさないように気にしていました。

それをふと思い出して、
確かここにしまってあったはず…と
引き出しを開けてみるとありました。
せっかくだから、もう当日だけど飾ってみるか
そう思い玄関のスペースに飾ってみました。

調べてみると、啓蟄の日(けいちつのひ)
今で言う3月5〜6日頃に仕舞うと良い
とのことなので、そうしたいと思います。

母とは幼い頃から色んなことがあり、
死ぬまで許せないと思ったことも
今でもそう思う言葉などもありはしますが、
もうあの時ほど頑なな拒絶の気持ちも
強いわだかまりもありません。
縁を切った後から少しずつ少しずつ、
ひとりで過ごす中で、辛い気持ちや
わだかまりを千切って捨てながら歩いてきました。
ヘンゼルとグレーテルのパンのように。

わたしだけでなくもちろん母も歳をとり、
丈夫だった母の身体もとても弱り、
何度も緊急入院などをし
(昨年も緊急入院などしておりました)
いつお別れすることになってもおかしくない、
そんな状況でもあります。
もうこの先は、自分の気持ちや恨み辛みは
少し離れたところに置いておいて
そのかわりに感謝の気持ちを持って
少しくらい親孝行ができて、
穏やかな関係を保っていられたら、と思います。

水と油だった母とわたし。
年齢を重ね乳化することを覚えた母とわたし。


あの時なぜ小さなお雛様を持ってきたのか
そんなことは聞かなかったしわかりませんが、
母には母の想いがあったのでしょう。
その想いは、このお雛様と一緒に、
大切にしようと思います。


これがそのお雛様です🎎



それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。





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