ゼロ年代と、それ以前のシンギュラリティ── #1 『東のエデン』


今のカルチャー遍歴は、東のエデン以前と以後に分けられる。まさに自己歴史のシンギュラリティであった。



作品との出会い


時は高校2年生の夏。将来の進路を決めたものの、未来の希望より先の不安が大きかった。将来の事から目を背けるように「深夜アニメをみてみたい」そう思い立ち、必死に色んな作品を調べた事は、今でも鮮明に覚えている。

元々、祖父の影響で洋画を嗜む程度に観ていた自分がどうして深夜アニメを観てみたくなったのか。おそらくアニメーションが創出する非日常で空想的なフィクションに身を置きたかったのではないかと、振り返れば思うところ。


100〜200タイトルは調べただろうか。その中で抜群に印象的だったのが、東のエデンだった。

アガりを決め込んだおっさんが居座る、思考停止した日本に「100億でこの国を救えるか」問いかける。

停滞した現代社会にナイフを突きつけるかのようで、若者が世の中を革命する姿に期待を寄せて観賞を始めた。

実際に、第1話にて日本各地に10発のミサイルが打ち込まれた事実が描写される。このミサイル事件に対し、首相が「迂闊だった」と発言したことから、後に"迂闊な月曜日"と呼ばれることになる。


期待も高く視聴を始めると、OPにoasisの起用、M65やレザーコンバットブーツを着こなす主人公など、ファッショニスタな世界が広がっていた。アニメでは観たことの無いそのスタイリッシュな雰囲気に、ショックと共に大変感激を受けた。

作中においても、ボーン・アイデンティティ風の逃亡劇な第1話や、ニュー・シネマ・パラダイスを引き合いにし、映画館付きショッピングモールで暮らす様子を描く第3話など、洋画チックな演出も非常にクール。



こうしたお洒落さが、萌えや子ども向け、ジブリなど従来知っていたアニメのイメージをいい意味で裏切ってくれた。

アニメっぽくないところが、フラットに多様なサブカルチャーにふれる価値基盤と礎となった。深夜アニメの原体験が東のエデンであったのは、本当に僥倖であったと思う。



Who is 滝沢朗?


最初に名前を出した滝沢朗。上述した通り紳士な男ではあるが、主人公でありながら最も謎多き人物でもある。

初登場は全裸。それもヒロイン・森美咲と遭遇するシーンから始まる。さらには記憶喪失。唯一手にしていたのは拳銃携帯電話。自分自身で記憶を消したとまできた。

滝沢の持っていた電話は、不思議なコンシェルジュ(ジュイス)と繋がるノブレス電話と呼ばれる。このノブレス電話に100億円の資産が入っており、対価分のお金を支払えば、何でも願いが叶えられる(列の優先割り込みから殺人まで)。100億円を使ってどう日本を救うのか、ここが本作のメインストーリーとなる。

そんな全裸青年は、女の子を前にしても裸を恥ずかしがることなく堂々とした振る舞いをとる。紳士なのか変態なのかわかりかねるシーンだが、誠実さとユーモア溢れる受け答えで森美咲と打ち解けていく。

このように、誠実さとユーモア、そして堂々たる行動力。内向的な高校生の僕にとって悩みの代弁者であり、救世主だった。今でもコミュニケーションに悩んだ際のロールモデルとなっている。


また、滝沢朗という名前は偽名である。記憶喪失前の滝沢が用意したアパートに大量のパスポートが準備されており、その1つに滝沢朗と書かれていただけなのだ。では、主人公のこの男は誰なのか。それは名もなきヒーローか、はたまた視聴者自身なのかもしれない。




東のエデンが描いた、未来の先に──


2009年にノイタミナ枠初のオリジナルアニメとして放送された東のエデン。放送開始から約13年が経った。何も変えられない重苦しい空気は、当時より一層蔓延的に沈殿している。

個人が何をしても、世の中は変わらない。そんな空気に立ち向おうとしたのが、滝沢朗であり、東のエデンの本質のテーマだったと考える。


行動力が世の中を変えるきっかけとなる。滝沢は持ち前の人柄で、やがて世界の運命にも立ち向かうことになる。

彼のように、周囲を和ませ、誠実であったことが空気を変えるきっかけに由来する。

世の中と言わずとも、まずは自分の大切な人達、その身の回りから働きかける。それが今の僕にできる持てる者の義務。


最後に、作中何度も繰り返される、個人の意志を信じ続けた本作を象徴する台詞を綴って、今回の締めとさせていただきたい。



「ノブレス・オブリージュ 今後も救世主たらんことを」




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