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111年目の中原淳一 松濤美術館|高畠華宵が伝えてくれたこと 弥生美術館

ひっっさしぶりに美術館へ行きました。
コロナの関係で、結構中止になった展覧会も多かったしね。

しかも、海外とかからも作品を借りるような展覧会は再開出来るようになったからと言ってそう簡単にまた借りられる訳でもなさそうで。

なかなか行きたい展覧会ってのがなかったんですよね。

生で作品を見るのは楽しいから、何かには行きたいんだけどなー、と思っていたら。

来ました! 中原淳一と高畠華宵!!

まあ、中原淳一は前に横浜でやってる時に行きそびれていたのもあったんだけど。
東京に来たわ! やったやった!

という訳で、1日使って、2件の展覧会をハシゴしてきました。 


111年目の中原淳一 松濤美術館

暑くてヒーヒー言いながら行った松濤美術館。
住宅地の中だったから、こじんまりした美術館なのかな……? と思ったら、意外な建物の雰囲気に驚き。

これアレだろ……ガチ目な建築家がデザインしてるヤツだろ……と一目でわかる“芸術的な感覚もある技術者”が作った建物。
(デザイナー、って言葉使うと2次元の絵しか描けない人も含むからあまり好きじゃないのよ)

帰ってから調べたら、白井晟一さんという建築家が手掛けた建物だそうです。(すいません、建築には詳しくないので存じ上げないのですが)

「111年目の中原淳一」は展示室撮影NGだったので、写真は外のみです。

中原 淳一は、主に戦後、日本の画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーター、人形作家、インテリアデザイナー、スタイリストとして活躍した人物。

特に、女性に夢と希望を与え、賢く美しい女性になってほしいとの理想に燃え、自分の雑誌『それいゆ』や『ひまわり』や『ジュニアそれいゆ』、『女の部屋』を相次いで創刊。編集長として女性誌の基礎を作った。

日本人のように黒髪黒眼でありながら、西洋人のような大きな瞳の女性の容姿は、その後の少女漫画にも影響を与えたと言われている。

更に、当時まだ少なかったフランス・パリで見たファッションを取り入れた彼のデザインは、現在も活躍する多くのファッションデザイナーや、スタイリストたちに大きな影響を与えた。

……という、日本の女性文化に大きく影響を与えた中原淳一。

元々は美輪明宏さんの著書でその存在を知ったんですけど。

好きなのよ。
この少女漫画っぽい絵と、フランスで中原淳一が見た当時の最新のファッションを盛り込んだデザイン画も。

今回、初めて原画を見たんだけど。

すっごい細かく描き込んでいて驚き。
まつ毛の細い1本1本から、髪の毛、洋服の模様すらも全てが手描きで描き込まれてるのね。

確かに、今ならデータ取り込んで貼り付けて、で済むことも、当時は全てが手描きだものね。

で、何でそのことに初めて気がついた、って。

彼のイラストのほとんどは雑誌に掲載されたり、という印刷物として残っているんだけど。

当時の印刷技術が追いついてなくて、潰れてるの(笑)

雑誌まで手掛けていたんだから、気づいてないはずないんだけど。
それでも、描かないって選択肢はなかったんでしょうねぇ。

あと、彼がパリで見たファッションのスケッチも興味深かったです。
ファッションに詳しくない私でもわかる、バレンシアガとかフェンディとかのスケッチもあった。

そして、このスケッチを見ると、彼がこのパリで見たファッションの一部を女性たちに提案するデザインに取り入れていたんだな、と。

中原淳一の描くデザインて、ブラウスとスカート、ってアイテムはシンプルなのに小技が月並みじゃないんですよ。
おしゃれ、ってよりも美学を感じる。
そのルーツはここにあるんだ、とプロフィールとかでは知っていたけど、スケッチを見て意味がわかったというか。

あと、彼もイラストレーターというよりは、“芸術的な感覚もある技術者”ね。
可愛い服やインテリアを描いているだけじゃなくて、その構造を立体的に把握して描いてる。

今や世界にも認知されている日本の“カワイイ”文化のルーツをたどるなら、絶対に避けて通れない人です。
そして目が楽しい展覧会でした!


高畠華宵が伝えてくれたこと 弥生美術館

さて。
インターバルを挟んで

オサレカフェで1人クレープをかっ食らう

弥生美術館て、名前は知ってたけど文京区ってことは東京ドームあたり文京区だったから池袋の先あたり? とぼんやり電車に乗って行ったら。

東京大学があったよ。
男の園、東京大学だよ(間違った方向性の知識)。

何か、どうも上野に近いみたい(地下鉄だったからわからなかった)。

で、その東京大学のほぼ向かいにありました、弥生美術館。

これまた違った意味でクセのある建物。

ここ、弥生美術館・竹久夢二美術館 ってあって併設?ってほどのサイズじゃないけど、名前が2つある。

弥生美術館は1984年に弁護士・鹿野琢見によって創設。鹿野が少年時代に出会った、大正〜昭和初期の挿絵画家・高畠華宵(かしょう)の《さらば故郷!》に深い感銘を受けたことがきっかけとなり、華宵のコレクションを公開すべく念願の美術館創設を果たした。

あ、竹久夢二美術館は名前があるから竹久夢二の美術館ってことはわかったけど、弥生美術館は高畠華宵の美術館なんだ。

常設展+特別展ということらしい

知らなかった。
もっと早く来ればよかった。

弥生美術館は一部撮影可能だったので、写真をたくさん撮りました。 

多分ここは常設展示

中原淳一と違って、高畠華宵はイラストレーター。
多分、現在に存在していたら、Pixivとかで火が付きそうな、純粋無垢そうで、それでいて妖艶というかエロチックさ満載のイラストレーター。

で、私の中で高畠華宵といえばこれ!

この和洋折衷、着物にパンプス合わせちゃうような感覚がとても好き。

もう、とにかく、高畠華宵の描く女性は美しい。
良いわ。良いわね……

と、思っていたら。

左の「ダンス」とかなんて、本当に百合っぽくて美しい。

あ、こんな百合っぽい絵もお描きになるの?

更には

ちょっとBLっぽい。

あ、こんな美少年の絵も描くのね……

華宵の描く少年・少女は、両性具有の 妖しい魅力があります。少年雑誌では 『少年倶楽部』『日本少年』、少女雑誌 では『少女の國』 『少女画報』を中心に、 多くの表紙や口絵を手がけました。華宵は少年少女の作画について、「寒 中凛然と花開く清香白梅を我が少年に模 し、紅梅の品良き色香をこそ我が少女に と念じて描き続けた私であった。」と 語っています。
華宵はアトリエだった華宵御殿に弟子 の美少年たちとともに住んでおり、特別 にモデルをさせることは無かったものの、 日常の様子をスケッチしていました。

展示キャプションより

「華宵はアトリエだった華宵御殿に弟子 の美少年たちとともに住んでおり」とな……

なるほどなるほど。
こりゃ、私、好きなはずだ……

当たり前だけど、普通の絵を描いても上手い。
でも、どこか繊細で妖艶。

と、思ってたら凄いの見つけた!

もう、話が頭に入ってこない。

えっと、「南蛮小僧探奇譚 死中の活」……の絵らしいんだけど。
日本少年という雑誌に掲載されていたイラストらしいです。え、日本少年てどんな雑誌だったの?(困惑)

南蛮小僧って何だ。
よくわからないけど、裸体が妖艶。いや、淫靡… まあいい。

更に「南蛮小僧が縛り上げられてしまった!」

縛り方が気になって仕方ないのは私だけか


(ノーコメント)

更に更に「縄が焼き切れたら大きな岩が落ちる…。万事休すか!?」

危機は他にある気がしてならない

いや、もう下手に技術があるだけに、何と言っていいのか…… 本当に日本少年てどんな雑誌?!

これを見て当時の人は何も思わなかったの?!

私の心が汚れてるだけなの?!

帰ってきて家族で食べた鳥貴族

と、言うわけで、久々に1人で美術館を堪能してきました。

中原淳一は、図録の装丁が一般に売ってるものと違ったので会場で購入しました。

内容は多分同じだけど、私のは装丁が白。

あと、高畠華宵のイラスト集もあったけど

こちらは普通に流通している本だったので、改めて購入しようと思います。(だって持ち歩くには重かった…)

やっぱり直接原画とかを見れるのは楽しい!
また興味が持てるものが見つかったら、行きたいです。
 
まだ少し会期があるので、ご興味のある方はぜひ!


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