8月29日 未知なる世界に全身体を預けるということ
めちゃくちゃ先延ばしにしていた私的な書類の送付を今日やっと終わらせた。8月の間に出せてよかった。これでこれからさき一安心だ。
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日常的に失敗を繰り返して生きているわけだが、そうした失敗をいかにしてものにするか、そういうところが肝心なんだろう。ごく普通の言われ尽くしたことをいま改めて語っているわけだが。
さあ、ここでなにを読み取るべきなのか?一般化というのは、事象と個人との接点を薄める行為だと思う。私は生まれ、そして死ぬ。全ては一般化して語ることができる。他者に出会い、何ごとかを語り、そして消える。
一般化と個人的なことのバランスをどうやってとればいいんだろうか?
『ブロッコリー・レボリューション』を読んで確かめよう!
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コミュニケーションの構成要素には、コミュニケーションとマニピュレーションがあるらしい。
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とりとめのない日記が描きたくなってきちゃった。そういえば『東京』と題された本――詩集だった――では、言葉の意味を再構成する試みがなされていた。著者名は忘れた。
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人間のたどり着きたい最終ゴールってなんだろう?なに不自由なく幸せに暮らすことだろうか?美味しい食べ物に恵まれ、娯楽に溢れて決して飽きることはない、そんな場を求めているのだろうか?実はそういった場所ってもう既にあるのではないだろうか?ららぽーととか。
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ちなみに、冬になるとかなり鬱っぽくなるというか、気分がかなり落ち込む傾向にある。この傾向に気づいたのはごく最近だった。誕生日付近が一番落ち込む傾向にある。だからいつも誕生日ってなんだよ、生まれただけじゃん、しかも意識的ではなくいわば勝手に出てきただけで…みたいな思考になりがちだった。
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ちなみにっていう言葉けっこう便利だから好き。どんどんちなんでいきたい。世界をぜんぶちなめたら嬉しいだろうなあ。
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バク転ができるようになるためのレッスン場が東京にはあるらしい。人はそんなにバク転を望んでいるのかなという疑問を持ちつつ、でもバク転ができるようになったときって人生においてすごい意味を持つような気もするからいいなと思う。
僕はバク転ができるのだが、いやできていたといったほうが正確なのだろうが、とにかくバク転ができなかったときからできるようになったときの転換期を体験している。
バク転ができるできないの差というのは、結局のところ勇気があるかないかにすぎない。
未知なる世界、不確定な世界に向けて、全身体を、そのまま預けるといったことが最重要だ。自分でコントロールしようとしてはいけない。既知にしようとしてはいけない。大いなる世界を一身に受け止める覚悟を、ごく自然に身につける必要がある。
きみは、未知を未知のままに飛び込めるか?
その問いに答えることができた瞬間、バク転は完成する。
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晴れ
(2022/08/29)
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