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12月6日の日記 好みを形作る

自分の好みに自覚的でないことが多い。いつも他人から指摘されて気づく。

例えば、グミ。

高校生〜大学生あたりは本当にグミばっかり食べて生活していたのだが、自分にそんな自覚がなかった。いわば無意識にグミを買い、食べていたのである。グミが好きだと思っていなかった。

みなさんはコンビニに入ったとき、一番最初に訪れるのはどこのコーナーだろうか?私はあの、グミがぶら下がっているコーナーだ。

いつものように、グミコーナーに真っ先に向かったある日、「グミよく買うよね」というようなことを言われた。衝撃だった。あれ?確かにグミばっかり買うな……。

それから、私のグミに対する好きという感情が醸成された。

例えば、エビ。

甘エビ、海老マヨ、エビピラフなどよく食べる。いや、これはよく食べるというのは正確でない。日常的にエビを食べているわけではないからだ。

ただ、お店のメニューなどでエビが入った料理があったら、ほかの料理を差し置いてエビ料理を選びがちになる。

これも、別に個人的には意識しておらず、エビ料理をなんとなく選んでいた。ただそれはどうやらエビが好きということになるらしい。言われて気づいた。


こうして自分の好みが明らかになるのは、自分にとって有利になる。他者に自分の好みを伝えやすくなるし、そこから自身のパーソナリティも定まっていく。将来の予見がしやすくなる。贈与の際に考慮すべき点が増える。

もし自分が他者であるなら、そして他者である自分が自分を他の他者よりも幾分か好ましいと感じているなら、グミが好きな自分に対して、グミに関する情報やグミそのものを与えるだろう。それは自分に対する好感度を高める行為に直結するからだ。

そしてその行為は、他ならぬ他者との差別化を図ることにも有効だ。自分が自分以外の他者よりも自分に対する情報を多く持っていることのアピールにつながるし、それは自分に対する興味が他者よりも比重が大きいということを間接的に示す。

もし、私が私ではない他者であり、幾分か他者よりも自分を好んでいるなら、さらなる発見されていない自分の好みを見つけようとするだろう。そしてそれは自分にとって預かり知らぬことではあるし、今後知ることも決してないだろうけど、自分の好みはどんどんそれによって外形化されると思う。自分の好みは自分の内から、自発的に発生するのではなく、自分以外の他者によって「好み」という箱に収められるのなら、他者である自分は自分に対して、そのようにするだろうし、自分はまるで自発的な好みであるかのように振る舞うだろう。

部屋でのPC作業効率がどんどん高くなっていて、満足感がある。

くもり

(2022/12/07)

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