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10月25日の日記 嘘と本音

自分の日記には現在性があまりないな感じている。が、今回の日記は割と自分の中では最近ホットなトピックスなので、けっこう現在性がある。「言ってはいけない」「言う」ことの問題点とその解決。言うまでもなく人は嘘と本音を使い分けている。自分もそうだ。そしてそれは普段の会話だでなく、この日記でもそうなのだ。いつも嘘と本音をおりまぜながら書いているけれど、今日の日記は特にそういった感じを強く受けるそれは、会話というテーマを扱っていることに少し起因するかもしれない私が思会話というものは一般の人が想像するような類のものではない気がする。それは、人よりも会話での場面で、うまくいかないことが多いからだ。インターネットでまことしやかにささやかれるコミュ障という分類に私は当てはまるのだろうだが、インターネットで、見るような生半可なものではないとも感じている。それは人生の多くの経験と、ネットでの語られが一致しておらず、そうしたレベルはとうにすぎたと感じてしまうものなのだ。


こうやって変な書き方をしているのは、言うべきことの裏にある「言わないこと」を示すためだ。ルビというのは英語圏では見られない文化で、日本語の面白いところだ。ルビはいたるところで使われる。ふりがなだけでなく、文の裏にある本音さえも示すことができるのでは、と思った。ルビを効果的に使われた文学作品あまり知らないが、円城塔『文字渦』という小説を知っている。『文字渦』ほど効果的に使った例は思いつかない。実際に見てみるとわかるが、文字の氾濫が壮絶で、驚嘆してしまう。


『文字渦』の話をしてしまった。こうやって本文から外れて好きな話をするのもルビのいいところである。話を戻そう。「言ってはいけない」ことについて、結局のところ、当たり前の話をしているだけなのかもしれない、というのは感じている。まあ、自分もいろいろな失敗をしてきたわけで、この「言ってはいけない」も例に漏れずそうなのだ。それにまつわる苦い記憶はいまでも鮮明に覚えている。自分がずっともやもやしていのは、それに対して謝ることができず、そしてこれからも謝ることはできないだろう、といいうことだ。せめてそんな失敗をうけて次に繋げられたらと思う。なんだかんだ偉そうな、知ったようなことを色々書いているが、実のところ、これはほかの誰でもない自分に向けて書かれたものなのだ。言うなればこれは『自省録』である。自省録のように人に読まれることはないだろうけどね。

見切り発車で始めたこのルビの試みだが、想像以上に大変すぎて、もうやめたくなってしまっている。単純にルビの文だけ文章量が増えているから、いつもの日記の二倍くらい書いていることになる。本文とルビのバランスを考えるのも難しい。実際、いまのルビは本文となにも関係のない話をしてしまっている。自分でもけっこういい話をしていると感じた文章なので、ちょっともったいない気がしてしまう。まあ、いいか。最近、『会話の哲学』という本を読んでいるのが、これがなかなか面白い。一般的に会話はバケツリレー式で行われると思われているが、著者は会話というものはそうではなく約束事の積み重ねだと説く。約束事の積み重ねというのを小説や漫画のコミュニケーションから見ていくのも面白い。オススメです。……書くことなくなってきたな……。日記って毎日書いているけれども、書くネタに困ることはよくある。最近はこれ書きたいというのがたくさんあるから幸いネタに困っていないのだが、そろそろネタが尽きるのではないかと危惧している。いや、危惧というのは言い過ぎかも。別にそんなに危機感ありません。そんな感じで今後もゆるりとやっていきたいと思っている。どうぞ今後ともよろしくお願いします。ふう、そろそろ本文の方も終わりそうですね。「言ってはいけない」ことの解決をどうするかはわかってないけど、ずっと考えていこうと思います。

晴れ
『会話の哲学』
『なめらかな社会とその敵』

(2022/10/25)



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