1月2日の日記 福袋的な

なんか、福袋というものに対してそんなに気分が盛り上がらないというか、乗り気になれないというか、世間でのそれとのズレを感じ続けていて、店で福袋を作成したとき、それは別にあの新鮮さも感じることもなく、それは労働的で、従属的で、実は福袋というものを他商品と同じように捉えていたことを示しているわけで、それは誰かとの期待から大きく逸れたような、そのような気がして、でも最近はそうした思いもなくなってきており、ワクワク感みたいなものも徐々に芽生えてきて、今年はもうなくなっているだろうが来年は買おうかななんて、そんな気持ちになりつつある。

しかし福袋で面白いなと思う点は、それに入っているもののランダム性と、お得感が望まれているというところで、ともすると自分にとって全く必要のないものが入っていることがあるにも関わらず、福袋の値段がそれに入っているものの売値より下回っているときに、得をしたとして喜ばれることがあり、それは売値から出発して物の価値を決定する行為であり、それは倒錯しているんじゃない?と思って面白いなと思うのだった。もっとも、福袋のランダム性というのは福袋が必ず備えている要素というのでもなく、あらかじめ内容が周知されている福袋も存在している。

『ぼっち・ざ・ろっく!』を一気見した。
ぼっちちゃんの成長譚としてよく出来ていると感じた。他者に対する恐怖が徐々に克服されていく。途中あった「観客は敵ではない」という場面がよかった。ぼっちちゃんは人よりも被害妄想が強めで、自己肯定感が低い。想像力は豊かだが、それは歪んだ自分視点のもので、他者の目線に立っていない。その意味でぼっちちゃんからみた他者は、理解不能で恐怖の対象でしかない。でも実はそうではなく、他者は敵ではないということを理解していく一歩として、路上ライブのシーンは象徴的に思われた。

『なめらかな社会とその敵』

(2023/01/02)

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