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10月13日 笑いを理論化する

昨日、東京と大阪の違いの一つとして笑いの基準をあげた。

ただ、よくよく考えると、笑いの基準や質が異なるのは不思議だ。笑いは喜怒哀楽のような人間の基本的な感情表現の一つであり、その発生原理はおおむね共通していると思われるからだ。

例えば、赤ん坊の笑い。どこの赤ん坊を見ても同じような笑いが起きている。みな一様にいないいないばあで笑う。

赤ちゃんのときは同じでも、だんだん歳をとるにつれて笑いに個人差が出てくる。赤ちゃんの笑いを受け継いだような身体的な笑いが好きな人や、シニカルやシュールさのような理屈っぽい笑いが好きな人もいる。

しかし個人差があるとはいえ、笑いの最大公約数的なものは、歳をとったとしても依然存在する。M-1のような採点形式が成り立っているのがその大きな証左である。

ということは、昨日書いたような「東京の笑い」「大阪の笑い」として定義されるものは些細な差異にすぎず、実は共通している部分の方が大きいのではないか。

ということをちょっと考えた。

笑いの理論としてもっとも知られているのは「緊張と緩和」理論だろう。

緊張状態から突如緩和されることによって、笑いが生じるというアレ。

上記の記事では、緊張と緩和理論に加えて、「エラー発見の報酬」理論を提唱している。

大北「ダジャレとはなんでしょうか。それは全く違う事柄を音でつなげてるんですね。これは詩を楽しむような喜びだと思うんです。

例えば「月のように綺麗ですね」と言ったとき。あなたと月という遠い2つを「きれい」という意味でつなげてますよね。本来は知る時にわかりやすくするために例えてるんです。でもそこにはうっとりする気持ちよさもある。知る時、情報を入れる時における快感なんですよね。

この本によると、人の頭の中には「メンタルスペース」という机があって、それぞれの局面で情報を処理しているそうなんです。
映画を観ている時は映画のメンタルスペース、観終わったら映画館にいる日常のメンタルスペースでお友達とおもしろかったね、という感じで。

メンタルスペースで処理された情報は「長期記憶」という奥の方に入れられるそうなんですね。「鉄は硬い」とかね。そこから引っぱり出してきて「鉄は硬いから家の骨組みに使えるなあ」とか考えたりもするわけです。情報が情報を生む。だけどこの情報が間違ってると大変です。「トッポは硬いから家の骨組みに使えるなあ」とか間違いがさらなる間違いを生んでしまう。

そして一旦、長期記憶に入っちゃうと取り出して修正するのも難しい。なので、もし情報に間違い=エラーがあった場合、メンタルスペースで素早く修復する必要がある。

じゃあどうするか。人間に限らず、全ての学習する生き物は神経系に報酬があって、それが行動の動機になるんだそうです。なので情報のエラーを見つけたら報酬を与えられるようになっている。それがおかしみやくだらなさといった「ユーモア」なわけです。そこから笑うときもあるし、なんなら笑わなくても気持ちがいい。

エラーを発見して、「違うぞ」と思ったときにおかしみとなって喜びがグンとくる。身体反応としては笑いになる。これでダジャレの説明がついたなと思うんですよ
https://engekisengen.com/genre/comedy/41009/

ネットの有名な画像にこうした説明を実感できるものがある。

こういうの。

こういった画像は確かに緊張と緩和理論よりもエラー発見の報酬理論のほうが適している気がする。

こうした笑いの理論みたいものを考えるのは楽しい。でも一つの理論ですべてを説明することは難しそうだ。笑うときは楽しいときも、恐れをなしているときも起こりうる。相矛盾するような状況で同じ笑いが生じるのは、なにか別の作用が働いていると考える方が楽そうだ。

そのほか失笑、苦笑、傲笑、嘲笑、窃笑などなど、笑いの種類は豊富だ。こうなるともはや手に負えないような気がする。

笑いについて考察した本はいくつかあるが、どんな感じでこの問題を解決しているのか。気になる〜。

とりあえず知っている笑いについての本を二冊貼っておく。
早稲田文学のほうはちらっと読んだことあるけど、けっこう面白いことが書いてあった記憶がある。またじっくり読んでみようかな〜。

ユーモアについての次の文章がかなりいいなと思ったので、残しておく。

いとう「ユーモアとギャグを分けて考えた方がいいと思っていて、ユーモアは人生に関係し、ギャグは時間に関係するんじゃないかとおれはかねてから主張してて。ただ後者に関してはまだちゃんと説明できないんだけどね。
フロイトがよく使う例として、刑場に向かっている死刑囚が空を見て「今日もいい天気ですね」と看守に言ったと。これがユーモアだって言うわけ。つまり、自分が死ぬという絶対的な絶望をメタレベルに引き上げて、自分が解放される。そして、それを聞いている人も思わず笑ってしまうことで解放されると。でも、おれが看守だとして、これだと笑えないよね。フロイトは例を間違ってると思うんだけど(笑)。
「この分だと明日も晴れるでしょうね」って言ったほうが面白いよ。その人はもういないんだから。「この人、死を超えてるな」と思ったときに尊敬の念さえ生まれる。これがユーモアだと思うんだよね」
https://engekisengen.com/genre/comedy/41193/

死刑当日に「明日も晴れる」と言えるような人間になりたいものだ。

曇り

(2022/10/13)

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