1月5日 社会

食に関する東西の違いにかなり疎く、例えばお雑煮の東西の違いについて解説を見たとしても、すぐに忘れてしまう。

どっちでもよくない?という適当さが根本にあるのが要因かと思うが、一般的に人はそういった違いを重要なものとして認識しているんだろうか。

もちろん、東西の違いの由来は地理的、歴史的な風土によるもので、もう少し前の時代であったならもっとアクチュアルに感じられたのだろう。

ただ今は陸も空も海も物流網が恢恢で疎にして漏らさずといった調子である。もしかしたら、私の態度については私個人の性格というよりも、時代背景、テクノロジーの影響の方が大きいのかもしれない。ただ、それでも他人との違和感に立ち戻るわけだけれども。

アイドルはうんちをしないという言説はある意味で正しく、確かにアイドルはうんちと発することが少ない。彼/彼女らがアイドルとして振る舞うためには、うんちというあまりに生々しく質感のある物体を想像させるわけにはいかないのである。

まあ、それはそうとして…では私についてはどうなんだろう?

私はもちろんアイドルではないからうんちの話をするのに抵抗はない。あまり損害を受けることもない。ということは私はうんちという点においてアイドルよりもある意味イニシアティブを得ているということにはならないか?

アイドルがうんちをしない代わりに私がする。社会はできる人ができない人の穴埋めをするのが効率的である。社会での役割を考えたとき、私はうんちについてもっとよく考えるべきなのではないか…と思った。

『ハッピークラシー』
『中動態の世界』
『オーラリメイカー』

(2023/01/05)

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