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8月16日 他者を他者のままにするか

今日はすごく早起きしていろいろやりたいことができたのですごく充実した気分になっている。やっぱり早起きって最高!

これは体感だが、7-8時間くらい寝た日は調子はいいけど昼間うとうとしがちになっている気がする。5時間くらいのときのほうがちゃんと起きているかもしれない。ただずっと5時間睡眠だとキツいからどこかで反動が来るのも体感としてある。

すごすぎる記事。これが無料で読めるなんてすごい世の中だ。

『ヤンキーと地元――解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち』の著者である打越正行さんと、『地元を生きる――沖縄的共同性の社会学』の著者岸正彦さんの対談記事。

話の中心テーマは、打越正行さんのフィールドワークについて。

 社会学の調査としては、打越さんは広島の暴走族の参与観察を数年やったんですよね。そのあとは沖縄に移住して、まずは同じように暴走族を?

打越 そうです。国道58号線という沖縄の幹線道路があるんですが、そこが暴走族の若者たちが集まり、暴走をみせる舞台だったんですよね。バイクでブンブンいわせてるときに声かけると怒られるので、彼らがコンビニで休憩しているときに声をかけました。

 最初の頃はぜんぜん相手にしてもらえなくて。当時私は30手前で、私服警官じゃないかと、すごい警戒されました。私もうまく話を聞けなくて「どこの生まれ」とか「何歳?」とか警察が聞くようなことしか聞けなくてますます警戒されました。彼らに覚えてもらうために、毎日同じバイクと同じ服で行って。あっ、洗濯してないとかじゃないですよ(笑)。そうやって覚えてもらって、面白がられて。2年目か3年目くらいで、建築現場に入れてもらえるようになりました。これが転機でしたね。

 よくそこまでやりましたね……。

打越 建築現場で働かせてもらって、大学生のくせに──彼らの中では、大学院生も大学生なんですね──よく頑張ってるじゃないかと、評価を得たのがさらにそこから2年、3年目。ここからやっと、話を聞かせてもらえるようになった。さすがによく耐えた(笑)。この過程で起こったことって、信頼関係を築くというより、大学生っていう得体のしれない勉強しかしてこなかったようなやつが、実は俺たちよりなにも知らない、できないことがバレてしまったんだと思います。だから、彼らは私にバイクの改造の仕方、泡盛のつくり方、キャバクラの楽しみ方などを実地で教えてくれたんです。物知りや偉そうなやつから、なんも知らない、できないやつに時間をかけてたどり着いたんです。

調査対象は沖縄の暴走族。打越さんはまさにその地でそこに長く生活している暴走族とともに、同じように振る舞いグループの中に入っていく。

打越 まずは、国道58号線で彼らが暴走しているところに調査に入って、バイクの改造を行う「アジト」に通うようになります。

 地元の暴走族のバイク倉庫だけど、たまり場になっていてダーツやトランプ賭博をやったりするんだよね。

打越 はい。そこで、強烈な上下関係を見ました。先輩は後輩たちを強引にトランプに誘います。後輩は勝てないし、勝ってはいけない。お金がなくなるとギャンブルできなくなるので、先輩は後輩に「トランプできないなら、沖組(建築現場)で働けばいいさー」と優しく仕事に誘うわけです。かつての中学時代のように「金だせ!」ではなく、優しく方向づけられていく。そうして現場に入ると、仕事内容もそうですが、過酷な人間関係があるので、ぜんぜん優しくないんですけどね……。

 それにアジトにいるメンバーはみんな沖組で働いているので、給料日にいくらもらっているかもバレバレです。「給料日だし、トランプやろう」と誘われたら、後輩は断れない。この関係は、生涯とまではいかなくても、当面終わる見込みのない関係だとアジトに入った時点で見えてきて、それは現場で働く際に求められてのものではないかと思い、それを確かめるために建築現場で調査を始めました。現場に入ってみたら、本当にそのままでしたね。本にも書きましたが、後輩たちは「兵隊」と呼ばれる。地元の先輩にとって、後輩は「兵隊」だと。

このような濃密な調査のなかで打越さんは「暴力を丁寧に書くこと」を意識しているとのこと。雑に書いてしまったら、「別世界のビックリ話」になってしまう。

 精度が粗いことを書くと、暴力をまったく理解できなかったり、あるいは振り子が逆に振れて、美化したり、ロマンティックな話になってしまう。以前、SYNODOSのインタビューでとてもいいこと言ってましたよね。

他者の行為の説明の精度と質が悪いと、別世界のビックリ話で終わってしまいます。「へー、こんなひどい世界があるんだ、かかわらないでおこう」と。それに対して、精度と質が高いと、そこに大きな歴史とか社会構造とかが必ず入り込みます。そして、一般の人びとに「もし私がその歴史と社会構造に存在したら…」という想像力が生まれます。
(SYNODOS 2017.03.21「なぜ沖縄の若者たちは、地元と暴力から抜け出せないのか?」より引用)
 「別世界のビックリ話」というフレーズが面白くて。打越さんの本も、上間陽子さんの本もそうだけど、一歩間違えると、「えぐい話」として、暴露本のようなノリで、サブカル的に消費される。わぁ、こんなヤバい連中がいるんだって、面白おかしく。ひょっとして、そういう読まれ方をされるんちゃうかな、っていう話はずっとしていましたよね。

打越 はい。暴力をどう書くのかについては、慎重にやってきました。ロマンティックに書かずに、彼らの生活の具体的な状況、編み込まれている沖縄や建築業の文脈を外さずに具体的に書く。

そうした記述を通して、そこに描かれた人物とわたしとが重なるような感覚を生む。そこではわたしと暴力を振るう人物との距離が縮まっていく。

 ただ、難しいんだよね。やっぱり、消費されちゃうんだよね。今日は打越さんと、理論の話を中心に話したんだけど、やっぱりこの中に出てくる細かいエピソードって、すごい面白いし、興味深い。普遍性があるじゃないですか。知っている感じがする、会ったことある感じがするんですよ。この中に出てくる子のこと。

打越 面白いって感じてもらえたとしたら、こんなエグい世界があるんだって、読めば読むほど距離が広がっていくようなものじゃなくて、読んだ後に彼らと皆さんの距離を、ちょっとでも縮めることができてるように思うんですね。あ、私もそこでそういう状況だったら、そうしちゃうかもね、みたいなことが書きたいなって。

 距離を縮めると。美化する書き方も、それはそれで距離を生みますもんね。

打越 そうです。だからヒーローとしても書かない。

 ずいぶん前の話ですけど、ある東京の大学が、沖縄に実習に行って、ひめゆりの戦争体験者から日本兵がどんな残酷なことをしたのか話を聞いたと。そうしたらレポートで「僕も当時の日本兵だったら同じことをしたかもしれない」と書いちゃった学生がいたわけです。日本軍ってやっぱり、過酷な組織で、部隊もバラバラになって、逃げていく中、食料もないしと。当時すごく問題になって、もう一度みんな沖縄に連れていって、学習会をしたと聞きました。

 理解するってね、どこかで情状酌量してしまうんですよ。そういう状況にあったら、こういうことをしたかもしれない、それを分かってもらうために書くんだけど……でも、同じ状況だったら俺も彼女を殴ったかもしれないってところまで持って行くのか。持って行かないとすると、それは理解が足りないってことにならないのか。どう距離を縮めていけばいいのか。

打越 うーん、難しいですね。『ヤンキーと地元』では暴力について書きました。彼らの暴力を免責することと同時に、暴力の責任のありかを、本土社会に対して、つまり私の問題として書かなければならないと考えています。

 彼らは過酷な状況にいるけれど、暴力をふるう男であるんだと最初から書いていますよね。絶対に許してはいけないと。ここは最大の問題ですよね。加害者をどう理解するのか。ぼくはここ2年くらいずっといろんな対談やトークイベントでこの話を繰り返し、飽きずにしています。他者理解が中立の立場でどこまでいけるか。なかなかこれが、伝わらないよね。調査やっている人間にしか分からないのかもしれない。難しいですね。

もっと詳しい話は上のURLから飛べるのでぜひ読んで欲しい。

『ヤンキーと地元』は存在は知っていたが、内容についてはあまり知らなかった。とても興味を惹かれたので、また今度読みたい。

晴れ
『給料』

(2022/08/16)

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