6月11日の日記

その男はなにもかもが平凡の一言で済まされる人だった。身長や顔のかたち、話し方やくせまでもが平凡と形容されるような人物で、モブのようになにかと背景に埋没し、その存在は常に忘れられるような人間であった。あえて特筆する特徴があるならば、彼は人よりもあっけらかんとした態度で、なんに対しても平然としてその表情を変えることは少なかった。人よりも、出来事のあれこれに反応を示さなかった。だがその唯一といってもいい彼特有の特徴でさえ、彼の平凡さを助長させるようなある種の働きをもっているようで、彼にそれほど親しくない仲であれば、その特徴に気づくことはなく、むしろそれこそが自然だと感じられた。

そんな彼が彼自身の特技をもっていたことは奇妙なものだった。しかもその特技は、信号が一定間隔に渡って明滅するような完璧な周期性を誇るようなものでもなく――ときに平凡な人物はその平凡さを生かし、まじめさを特技にすることがある――特技自体が非常なことがもっとも奇妙であった。

彼は消えることができた。いや、存在が忘れられることもあるとは上に書いたが、そうではなく、完璧に”消える”ことができたのである。彼は透明人間になれた。しかし、夢の世界に限って、である。

彼は消えるとき、口を大きくすぼめ、勢いよく息を吐き出す。これで消えることができる。なるべく吐き出す息はおおく、勢いをできるだけつけなければならず、半端に吐き出すだけでは消えることはできない。彼はこの手順を夢の世界においても、現実の世界においても覚知しており、いつでも消えようと思えば消えることができた。しかし、現実世界では同じ手順をしても消えることはなかった。彼はその原因を吐き出す息の量にあるとみていて、なんでも夢の世界で吐き出す息の量と現実の世界で吐き出す息の量とでは若干異なるらしく、現実の世界では十分な量の息を吐き出せないから消えないとおもっていた。つまり、手順自体は間違ってはおらず、材料に不備があるから消えることはできなかったのである。彼はしかし、これにはあまり不満を持っておらず、現状夢の世界で消えることができればそれでよいといった考えであった。

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