5 ジェンダー平等を実現しよう

 春が来た。空気がざわついている。世界はざわついている。新型コロナウイルスで大騒ぎだ。妻は駅前の電波を利用し、テレワークで復職していた。私は相変わらず、ただ生きている。生きていることを誇示するかのように、今日も歩く。道路の選択肢が少ないから、仕方なしに駅前を通る。妻を囲みスイーツ女子たちが座っていた。彼女たちは仕事が休みになっていた。素通りするつもりが近寄ってしまった。 スイーツ女子たちは自作と思しきマスクをしていた。原色辛子色の華やかなマスク。いいマスクだねと声をかけた。妻の発案で作った、彼女は天才だと低いテンションながら褒めた。私は妻とのベトナム旅行を思い出した。オートバイの空気汚染が酷く、ベトナムでは布マスクは必需品だった。妻は露天でマスクを購入した。派手な柄の布マスク、日本では絶対に使わないと笑った。妻との思い出に、一人で勝手に気まずくなった。目の前の妻は不織布のマスクをしていた。私はスイーツ女子たちに故国の状況を尋ねた。あまり被害がない、お互いの距離が適度になるほどの人口だから、とそっけなく答えが返ってきた。仕事に行かなくなってから、スイーツ女子たちは口数が少なくなっていた。興味なさそうにスマートホンを眺め、素早いタッチで打ち込み、また眺め、画面を切り、また画面をつける。
 暇だから何かイベントを開けと言われた。それなら花見だと妻が言い出した。お重箱を取りに家に戻ると言い、次にホームに入ってきた電車に乗っていった。

 私は小屋に戻り、煙草を吸った。妻がいると吸うのをためらっていた。あらゆることに後ろめたさがあった。
 とりあえず卵を巻くことにした。巻きながら考えた。もちろんSDGsについて、5番のジェンダー平等について。4本、卵36個分のだし巻き卵が完成しても、何も思い浮かばない。何もできないというSDGsへの無力、その感覚にはいつまでも慣れないものである。HPには夫婦での家事の分担の話が出ていた。私が料理を作り、妻が重箱を運んでくる状況は合致してなくもなかった。
 続けてウインナーをタコにして油で揚げた。煙草を吸い、昼寝をし、小川で冷やしていた珈琲を飲んだ。そして妻が戻ってきた。SDGsの話をするまでもなく、二人で料理をした。会話は弾まない。笑顔はない。東京は人と車が少なく、新幹線は貸切状態で、快適な旅だったそうだ。
 味をつけた鳥唐揚、春菜と筍の煮浸し、キュウリと味噌と梅、紅白の白菜漬、ヒジキと枝豆のご飯で俵形のおにぎり、重箱が山盛りで重ねられなかった。

 神社境内に8本並んだ桜の木。入口の1本は満開だったが、一番奥の1本は三部咲き程度、咲き方が入口から奥まで傾斜していた。陽の具合か、気温の具合か分からなかったが、8本が見事に傾斜していたのだ。
 時間の流れを止めたような、早めたような。そう私が言うと、妻は冷笑したが、電波の向こうのルーマニア人の妹には絶賛された。
 妻の買ってきたルーマニア産の赤ワインと、妻の持参した足の短いアウトドア向きのワイングラスで乾杯となった。妻は私のグラスには注がなかった。私は白ワインに氷を浮かべた。
 スイーツ女子たちはだし巻き卵で笑顔を取り戻した。他の料理よりも先に持参したティラミスを食べることになった。デザートが食後だと誰が決めたのか、ルールに縛られるなと妻も乗った。大きな鍋からすくって配られた緩いティラミス。おいしかった。食前であることはともかく、酔う前に食べてよかった。店を出せと私が言うと、出したいけど金がないと彼女たちは笑った。
 駅員が仕事の合間にやってきて、すぐに戻っていった。駅員を盛大に見送った。彼女たちにラインが届いた。仕事の再開、果報。もう一騒ぎした。

 後片付けは妻と私の二人でした。スイーツ女子たちは明朝が早いので先に帰ってもらった。あなたが後片付けをするとは、成長したわね、と妻に言われた。以前の自分がジェンダー平等でなかったとは。問題に無自覚だった頃のことは、思い出したくもなかった。若気の至りと笑えるのは、成功者だけだ。無職の男は、過去を笑えなどしない。煙草が吸いたくなり、珈琲が飲みたくなった。戻ったら珈琲を飲もうと言うと、妻は何かを言おうとして止めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?